当時、単なる茶屋だけでなく、豪華な料理屋が次々と登場したのです。
高級な魚介類や珍味が食卓を彩り、江戸市中の飲食業が乱立していったのは、この時代ならではの現象でした。
その中でも特に名を馳せたのが、料理屋「八百善」です。
もともとは庶民的な仕出し屋だったものの、この時期に高級料理屋として急成長を遂げました。
八百善を代表する逸話としては、ある客が八百善で極上の茶漬けを所望した際、半日も待たされた挙句、1両2分(現在の価値で大体20万円)という高額な代金を支払う羽目になったというものが知られています。
ちなみにこの高級茶漬けの値段が高騰した理由の一つは、当時、煎茶の銘柄や水質に対するこだわりが強かったからとされています。
また八百善では野菜の促成栽培を行っていた農家と提携することにより、春先に瓜や茄子といった夏野菜を提供することを可能にしていました。
こうした季節外れの野菜を出すことは現在では珍しいことではないものの、当時はかなり珍しいことであり、それゆえ人気を博していたのです。
しかし、このような豪華さや高級化は一時的なもので、やがて化政期の終わりには食文化の変化が見られるようになります。
かつての名高い料理屋であっても、客は次第に高級な料理に飽き、名声にこだわらなくなっていきました。
それでも一部の高級料理店は残り、その中には現在でも営業しているものもあります。
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参考文献
京都産業大学 学術リポジトリ (nii.ac.jp)
https://ksu.repo.nii.ac.jp/records/10773
ライター
華盛頓: 華盛頓(はなもりとみ)です。大学では経済史や経済地理学、政治経済学などについて学んできました。本サイトでは歴史系を中心に執筆していきます。趣味は旅行全般で、神社仏閣から景勝地、博物館などを中心に観光するのが好きです。
編集者
ナゾロジー 編集部