生きていく糧を得るためには、戦ではなく農業が必要なのです。
ですから、大名が農繁期に戦を起こしてしまうと、大半の兵は戦への集中力など発揮することはできません。
所説ありますが、戦国最強とうたわれた軍神上杉謙信が天下を手中に収められなかった理由の一つに、この点が関係しています。
12月~2月は、そもそも雪の影響で進軍ができません。
4~5月は種植えのシーズンですし、9~10月も収穫のシーズンであるため兵が集まりません。
こう考えると、大きく兵を動かせる期間は6~8月の3カ月程度しかなかったのです。領民を大切に扱った謙信ですから、なおのこと無理な出兵はできなかったのでしょう。
自分の役割に集中させる識学には「必要度」という理論があります。
必要度とは、その時々に何が最も必要性が高いかによってつけられる優先順位のことです。人の思考は必要度が最上位のものにしか働きません。
例えば、デイトレードにのめり込み、就業時間中も相場に夢中になっている人を想像してみてください。表面的には仕事をしていても、頭の中は相場でいっぱいという状態です。
信長がこの内容を知っていたかどうかは不明ですが、おおよそ次のように考えていたとされています。
「農家は農業で生計を立てなければならない。ならば、兵士でも生計を立てられる道を作れば良い。しかも、継ぐ家が無い次男や三男を雇えば、一層、戦に集中するだろう」
こういった狙いから、信長による職業兵士の軍隊がつくられていったのです。
もちろん、この職業兵士を維持するには豊富な資金が不可欠です。それゆえ、信長は商業の活性化にも力を注いでいます。
すべては強い国を目指し、戦の勝利から逆算した国づくりを進めていったからだと言えるでしょう。例えば、この逆算の考え方は織田軍の組織図に表れています。
成熟期の織田家は方面軍システムを採用していました。
方面軍とは、軍隊を本営といくつかの軍団に分ける考え方を指します。