報道一般は「決められたルールを守らず、ズルをした。これは悪である」と。水戸黄門の世界そのものなのですが、行政とメーカー側、更には顧客や専門家を含めたすべてのステークホールダーの満足度を高めるプロセスが今の日本ではなかなかうまくいかず、残念ながら日本はそれを時として隠匿する傾向があること、ここに問題の本質があると考えています。
では海外ではなぜこのような問題が起きないのか、といえばできないことを隠ぺいする体質がない、つまり出来ないことでスケジュール遅延が起きることに慣れているのです。日本はスケジュール管理は収支管理と双璧をなす管理項目であり、Time is Moneyのマインドがしみ込んでいます。そのため、物理的に非常に困難なスケジュールでも重層の縦社会においてやらざるを得ないプレッシャーが大きくなる、つまり、業務的なしわ寄せが内部隠ぺい型になりやすいとみています。
ではこの不正問題は自動車業界に留まるのか、といえば私は100%あり得ないと思います。自動車はどのように作られるかと言ってもブランド力によってほとんどの人の目に留まらず、気にも留めないのです。一方、メーカー側は多品種になってきており、そのプロセスはより複雑になっているはずです。これに似た業種は要注意だと思います。
例えば私が関連する建設業界は怪しいのかもしれません。本当に設計通りに作られているか、といえば設計図面に対して現場がうまくすり合わせできない時は現場で臨機応変な対応をとることは多いのです。その際に設計士や役所をいちいち通すか、といえば必ずしもそうではないこともあるのです。そして出来上がった建物に問題なければそれでおしまいなのです。日本は竣工検査で出来上がった建物の検査だけで終わることも多く、今はそれを外部の民間検査機関に委託することも多くなっています。つまり役所はほとんど見ておらず、中間に介在するだけなのです。ということは役所基準での見落としは当然あり得るのです。
飲食業界はどうでしょうか?本当にオリジナルのレシピ通りに作られているのでしょうか?チェーン展開しているところで予定食材が入手できない場合、代用もあるはずですが、それが店のブランドを遺棄するものではないのか、といえばほとんどはわからないのです。メニューには〇〇産の肉(魚)と銘打っていてもそれが入荷しないときはどうするのでしょうか?店側は「客にはわからない」と意識した瞬間、その代用手法を当たり前のように使うかもしれません。時々「この店の味、落ちたな」と思うことがあると思いますが、それは見えない何ががあるからなのです。
では自動車業界を含め、この問題は修復可能なのでしょうか?
「できない」という声を出せるかどうか、そこにかかっています。競争が激しい業界であればあるほど「できない」とは言えなくなります。それが隠匿です。一方の北米ではなぜ「できない」のか、徹底的に分析し、トップに報告され、トップの判断として延期、中止、値上げといった判断を下します。日本はメンツの社会ですから「俺の顔をつぶす気か?」と怒り心頭、そのボスに向かって「できません」といえば首にならずとも閑職に追いやられるという仕打ちは当然ありえます。ならば「墓場までもっていくか」になるわけです。
この問題体質をもう少しグローバルな観点から見ると日本の隠ぺい体質の根源はほぼ単一民族ゆえに起きやすいとみています。北米で隠ぺいはほぼできません。理由は価値観が違うスタッフ同士が仕事をしており、なにかあれば本人に諭すのみならず、必ずボスにチクるからです。案外、正義感が強いところがあるのです。また北米で企業のライアビリティは社会の中で非常に厳しく扱われています。ウソは社会的信用を一瞬にしてなくしてしまうことが社会人のマインドにしみついているのです。
それと比べると言葉は悪いですが、井の中の蛙的でもあると思います。私が日本の国際化が必要だと何度も言っているのに不要論が今でも多いのは社会のぬくもりがある故なのでしょう。そういう意味では今回の問題で日本が目覚めるきっかけになってほしいと思っています。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2024年6月4日の記事より転載させていただきました。