確かにイデオロギー的立ち位置を分類した場合、そういう位置づけも可能なのかもしれないが、もしそこに短絡的な主張をする人物、というイメージが付くようであれば、痛い目にあうだろう。
彼の著作は、人間に対する深い洞察と、それに裏付けられた一貫性のある哲学的示唆に満ちている。ヴァンス氏を侮るべきではないと思う。
オハイオ州のラストベルトの田舎町では、人々が貧困の中で暮らしている。住民たちは、そこから抜け出る手段も、意図も、持っていない。喧嘩、離婚、薬物中毒事件が絶えない。ヴァンス氏も、その中の一人だった。
転機は、高校卒業後に、人生に対する不安から突発的に海兵隊に入隊したことだ。厳しい肉体的訓練と計画的な思考の鍛錬が、彼の人生に影響しただけではない。イラク従軍中に出会ったイラク人の「引っ込み思案の男の子」との遭遇が、人生を変えた。
その男の子は、おずおずとヴァンス氏に近づいてきて、手を差し出した。ヴァンス氏が、たった2セントの消しゴムを渡すと、男の子はそれを「意気揚々と掲げながら、家族のもとへ走っていった」。それはヴァンス氏にとって衝撃的な「自分が変わるという経験にかなり近いもの」だった。
「私はそれまでずっと、世の中に対して恨みを抱いていた。」しかしその男の子との経験の後、「自分がどれだけ幸運なのかを実感できるようになった。・・・誰かが消しゴムをくれたら、にっこり笑う、そんな人間になろうとこの瞬間に誓った。」(邦訳273-4頁)
その後、除隊してから大学に進んだ。複数いる父親の一人は、「黒人かリベラルにでもなったのか」となじった。しかしヴァンス氏は、奨学金を得ても足りないため複数のアルバイトをして苦学しながらも、オハイオ州立大学を優秀な成績で卒業した。そしてイェール大学の法科大学院に入ると、世界が変わっていく。上層階級に入ったのである。ヴァンス氏は違和感を覚えながらも、上層階級で一番違うのは人間の考え方なのだ、ということを悟る。
故郷の友人たちは、早すぎる結婚の負担、薬物依存症、犯罪に、次々と陥っていく。誰もが「敗者であることは、自分の責任ではなく、政府のせいだ」と考えている。その状況は、複合的で深刻だ。
ヴァンス氏は、20世紀の保守主義者のように、自己努力が必ず成功を約束する、などということは言わない。
「私たちのコミュニティが抱える問題に“解決策”はないのかと、ときおり尋ねられることがある。・・・誰もが考えるような形での“解決策”はおそらく存在しないだろう。」せめてできるのは、「手を差し伸べること」だけで、それはつまり愛情を注ぐことだけだ。(369頁)
ただヴァンス氏の場合には、何人かの人々の愛情があったから、そしてその愛情の存在に幸福を感じるようになったから、人生が変わった。
「問題は・・・私たち自身がつくり出したのだ。・・・私には完璧な答えはわからないが、・・・自問自答することからすべてが始まる。」(395頁)
ヴァンス氏は、ウクライナ支援に極めて懐疑的だ。ウクライナの問題はヨーロッパの問題であり、アメリカには関係がないという趣旨の発言もしている。ヴァンス氏の副大統領候補指名で、トランプ第二次政権の対ウクライナ政策は、あらためて非常に厳しいものになることが決定的になったと言ってよい。
この若い保守主義者の態度を、「孤立主義」と形容して理解したつもりになるのは容易だ。あるいは説得も試みられるかもしれない。だが欧州のエリート政治家たちなどによる説得によっては、ヴァンス氏は簡単には豹変しないだろう。
人生の多くの問題は、解決不能だ、という思想が、根深くヴァンス氏の心に存在している。薬物中毒の実母に、繰り返しお金を渡すが、全て入院費用などで消滅する。ヴァンス氏は母の生活を立て直したいと思っているし、最大限の努力をしたいと献身的に尽くしているが、究極的には母が変わることは永遠にないだろうことを、覚知している。
ウクライナ問題についても、「アメリカは関わりたくない」というよりも、「アメリカには、どれだけ関わっても、問題を抜本的に解決する能力も関心もない」という突き放した諦念こそが、ヴァンス氏の態度を裏付けている。重要なのは、この洞察が、彼の人生そのものに根差しているということだ。
今後ヴァンス氏に関与する者に必要なのは、彼の人生に対する深い敬意だ。侮ったりすることだけは、絶対に禁物である。