生家での暮らし

やがて1929年4月に河上肇「経済原論」の後任として京都帝国大学教授になるが、同時に九大教授も兼任していたので、京大教授専任となった1934年12月までは半年間は京都住まいであり、残りの半年間はこの生家で暮らした。

この時代の5年間と、さらに終戦後の不遇な「教員不適格」の判定を受けた時代(1946年~1951年)の約6年間をはじめ、四季折々に生家に帰られた際に、使われた二階の書斎の外観は写真2の通りである。ここで経済学の大著『経済学新講』(5冊)岩波書店(1929-1932)が執筆されたし、『階級及第三史観 改訂版』関書院(1948)、『改訂社会学概論』岩波書店(1950)、『社会科学通論』有斐閣(1950)が執筆された。

写真2 生家の玄関と二階の書斎(注)金子撮影(2020年1月)

写真3は左側の正門を中心にした更地の様相である。写真1でいえば左側の門柱を中心とした構図であり、そのまえに小城市教育委員会が置いた「ウォーキング 偉人コース 高田保馬博士生家」と記載されている。また、写真4は更地の全景である。生家が解体されたので、今後は「生家跡」になるのだろうか。

写真3 正門からの更地の風景(注)金子撮影(2024年3月)

写真4 更地の全景(注)金子撮影(2024年3月)

写真4は更地の全景であり、写真1の二階建ての建物が立っていたところである。その左側が庭になるが、樹木は一切残っていなかった。ただ、小城市教育委員会が平成21年(2009年)に建てた高田保馬の簡単な紹介が記載されている「説明版」(写真5)はそのままであり、その横に高田保馬生誕の石碑(写真6)も同じく残されていた。

写真5 高田保馬説明版(注)金子撮影(2024年3月)

写真6 高田保馬生誕の石碑(注)金子撮影(2024年3月)

古川康・野田聖子・金子勇「少子化を真面目に考える座談会」

『高田保馬リカバリー』(2003)を刊行して、少子化対策の論文や著書を刊行していたころに知り合った当時の佐賀県知事古川康氏、衆議院議員で『だれが未来を奪うのかー少子化と闘う』(講談社、2005)を出された野田聖子氏との鼎談を行ったことがある(古川康・野田聖子・金子勇「少子化を真面目に考える座談会」『読売ウィ-クリー』2007.3.4)。

その鼎談後でも、そして佐賀県知事から衆議院議員になられた古川氏には生家保存を何回かお願いしたことがあったが、いずれも「民有地」なので県や国がなかなか手を出せないという回答であった。いろいろ厄介な事を乗り越えなくてはならなかったのだろう。

小城市市民図書館三日月館と小城市歴史資料館に資料・史料が保管されている

結果的に生家が解体されてしまい、高田の大きなメモリアルが無くなってしまった。ただ幸いなことに生家に保存されていた資料の大半が小城市歴史資料館に移されていて、100冊の書籍も小城市市民図書館三日月館の「高田保馬コーナー」に保管されている。

私も20年前の『高田保馬リカバリー』を小城市歴史資料館に献呈して、市民図書館三日月館と合わせて、3月に完結したアゴラ連載7回の「高田保馬の『感性』と『理性』」のコピーをささやかな高田保馬研究資料として差し上げてきた。

この後、膨大な社会学と経済学の世界にどう入り込むか、試行錯誤が続いている。

【参照文献】

古川康・野田聖子・金子勇,2007,「少子化を真面目に考える座談会」『読売ウィ-クリー』読売新聞社 3月4日号:88-92. 金子勇編,2003,『高田保馬リカバリー』ミネルヴァ書房. 竹田晃,2013,『四字熟語成句辞典』講談社. 吉野浩司・牧野邦昭編,2022,『高田保馬自伝「私の追憶」』佐賀新聞社.

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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