ところで、パリ五輪大会開会式でのパフォーマンスへの評価で賛否両論があるが、宗教界からドラッグクイーン(女装パフォーマー)やLGBTQ(性的少数者)らを多数起用した開会式のパフォーマンスに違和感を感じる声が聞かれたことはこのコラム欄でも紹介した。
レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたイエス・キリストの「最後の晩餐」のパロディはキリスト教会、保守派から強い反発を招いた。フランスのローマ・カトリック教会司教会議は「開会式では、レオナルド・ダ・ヴィンチの有名な絵画を基にした『最後の晩餐』をワンシーンで再現するアーティストたちが登場した。しかし、このシーンはドラッグクイーン、ほぼ裸の歌手、その他のパフォーマーによって、トランスジェンダーのパーティーやファッションショーにパロディ化された」と批判している。
宗教的な神聖なものや人物への冒涜は許されないが、開会式のパフォーマンスのような神聖なものへの冒涜、パロディは、パリ五輪開会式の芸術監督を務めた舞台演出家のトマ・ジョリー氏だけの責任とは言えない。フランス社会には聖職者の性犯罪問題もあって教会への蔑視感情や怒りが浸透しているからだ。
聖職者の性犯罪は重犯罪だ。その犯罪を隠蔽してきた教会は共犯者となる。それでは過去、多くの性犯罪を犯し、その犯罪を隠蔽してきた教会は反社会的団体として国や自治体から解散命令を受けただろうか。欧米諸国ではそのようなケースは聞かない。理由は明らかだ。信者たちの「信教の自由」を守らなければならないからだ。さもなければ、カトリック教会はとっくに解散命令を受けていただろう。カナダ教会や米教会では信者からの献金で性犯罪の犠牲者への賠償金が支払われてきた。もちろん、平信者は聖職者が犯した性犯罪の犠牲者への賠償金として献金したわけではない。
キリスト教会を含め宗教団体は基本的には信者の献金で運営されている。高額献金もあるだろうし、給料の10%献金もあるだろう。そして信仰を失った元信者の献金返還要求は基本的には受け入れられない。なぜならば、献金した以上、その献金はもはや信者のものではなく、教会、神に属するという考えがあるからだ。これは信仰問題であり、経済問題ではない。