1. 常に改善意識がある

    仕事において「完成」はない。あらゆるオペレーションは永遠に工事中のサグラダファミリアみたいなものである。

    筆者は日々、かなりの分量の文章を書いている。若い頃はタッチタイピングを取得したことで「これで自分の文章作成のプロセスは完成した」と考えていた。しかし、その後AI音声入力が発達し、認識精度が飛躍的に向上したことでまずは音声入力を行い、その後手入力をするというプロセスへ進化した。

    だが、ここで終わらなかった。昨年から、ChatGPTを使い始めたのだ。これにより、原稿の方向性をAIと相談して作り、音声入力で書き、AIで誤字脱字や見出しを整え、キーボード入力で完成という流れができあがった。2023年からずっとこの流れで書くようにしている。おそらく、今後も新しいテクノロジーでさらなる進化が起きると思っている。

    もちろん、最初からこうはいかず失敗の連続だった。音声入力もGoogleとAppleで認識精度も句読点の有無など質もクセもかなり違う。ChatGPTも使いこなせず、失敗ばかりで「これなら自分で書いたほうが早いな」とやきもきする時期もあった。今振り返ると試行錯誤していた時期の失敗は練習だったのだ。

  2. 感情を排除する

    失敗は感情と強く結びついている。多くの場合、失敗したとなると過度に悲観的になったり、怒り心頭で何も考えられなくなってしまうかどちらかだ。

    だが、感情ほど人の目を曇らせ真実をわからなくするものはない。といっても悲しみや怒りは誰しも持っている感情なので、言葉で言うのは簡単でも「冷静になれ」と言われて「はい」とはならない。ではどうするか?

    結論的には失敗慣れするのである。筆者も今は失敗をしても「データが取れるチャンス」と前向きに考えることができるようになったが、それには膨大な失敗を乗り越えて慣れてしまったからだ。

    失敗に慣れればイチイチ落ち込んだり怒りを感じることはなくなる。その際、意識的に口に出したいのが「なるほど勉強になる」というものだ。自分も瞬間的に重い失敗をしたときは気持ちがぐらつきそうになるのだが、上記の台詞を口に出す。そうすると、脳はその言葉の整合性を取るための思考を再構築を始める。結果、「今自分は勉強をしており、この失敗は練習なのだ」という解釈に落ち着く。

    他人から見ればバカバカしいと思うかもしれないが、人間は負の感情でダメになってしまうので半ば無理矢理にでも感情を排除できるなら、この取り組みには価値がある。

    失敗が多いというのは恥ずべきことではなく、慣れていない新しいフロンティアに挑戦しているということなのでむしろ誇るべきことだ。実際、失敗数という絶対値でいえば、成功者は常人の2桁、いや3桁失敗しているだろう。むしろ、改めるべきは一切の失敗をしないよう、怖がっていつまでもコンフォートゾーンから抜け出さない姿勢ではないだろうか。

     

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