さらに複数の「社会国家」構想の源流として高岡が持ち出した、陸軍=小泉が目指した「衛生主義的社会国家」(同上:21)、大河内一男の「生産力主義的社会国家」(同上:21)、人口学的「民族-人口主義的社会国家」(同上:22)、そして「保健医療政策に主軸をおいた健兵健民政策を軸とする社会国家」(同上:22)の4種類の歴史的事実は貴重ではあるが、単なる「国家」という表現で十分である注17)。
そのうえそれらの歴史的事実が示すのは、戦時中なのにあるいは戦時中だから兵隊や国民の「衛生」や「健康」を重視したり、戦争継続して最終的に勝利するためには社会的な「生産力」を高め、「人口増加」を推奨する「社会政策」であったから、軍事型社会における「福祉国家」の原型ではありえても、「社会国家」とはよびにくい。
ピケティによる社会国家の税収と社会支出なぜなら、高岡がまったく触れなかったフランスのピケティによる社会国家は、「総税収が国民所得の30%を超え、教育、社会支出は総支出の3分の2を占める」(ピケティ、2019=2023:441)とも表現されているからである。
ここにいわれる「社会支出」もまた、社会移転(家族手当、失業手当)、保健(健康保険、病院)、年金、障害年金、教育(初等、中等、高等)、軍、警察、司法、行政、住宅供給などが該当する。
高岡は戦時体制の日本に対してなぜ「社会国家」という名称をつけるのだろう。以下、日本語でわざわざ「社会国家」と呼ばずに「国家」でも十分意味が通じると思われる個所を、本書各章から拾いあげてみる。
英語のsocial stateは翻訳語第1章
(1)第一次世界大戦後の欧米諸国における行政領域の拡大=「社会国家」化の進展(高岡、前掲書:69)。
「行政領域が拡大」する趨勢は近代化、産業化、都市化などの社会変動の附随した結果であり、国家が果たす機能が肥大したからである。フランス語État providenceとドイツ語sozialstaatのように「社会国家」という言葉はあるが、英語のsocial stateはむしろこれらの翻訳語として成立したのではないか。