(4)広田-第一次近衛内閣期は、「社会政策」が時代の要請として脚光を浴び、……(中略)、戦時期に進行する『社会国家』化の出発点として重要な位置を占めている(同上:88-89)。ここで言われる「社会政策」は軍事政策(壮丁体位)と労働政策(重工業熟練労働者確保)なのだから、「社会国家」という表現はふさわしくなく、やはり「戦時国家」が合致する。
(5)1936年時点で「農村医療問題」と「農村人口問題」を「中心的位置」に取り込んだことが、なぜ「社会国家」化になるのか。「戦時国家」が兵士の供給源である農村への関心を強めて、いくつかの農村社会政策を実行したのだから、「国家」の機能拡大という理解で十分ではないか。
(6)「『医療の社会化』=医療をめぐる『社会国家』化」(同上:121)。これは、国家が「医療の社会化」を目指すという表現でも構わない。
(7)昭和初期からの「農村社会改革構想としての分村移民事業は……(中略)「『全体主義的理想主義』……に基づく農本主義的『社会国家』構想だった」(同上:138)。これも、「戦時国家の『国家目標』になった」で意味は十分に通じる。
(8)「近衛が抱いていたとされる『福祉国家』構想とは、こうした軍事工業化路線と一体をなす『社会国家』だったと考えられる」(同上:148)。ここでも、戦時体制において「生産力拡充政策を柱とする国家を志向した」で大丈夫だと思われる。
大河内『戦時社会政策』は「戦時国家」で行われた第3章
(9)「全体主義的総力戦体制の一環として多様な『戦時社会政策』が登場し、『社会国家』化が進行した」(同上:153)。これもまた「多様な戦時社会政策を遂行した国家」ないしは「軍事国家」で十分である。
(10)「大河内『戦時社会政策』論を生産力拡充に基礎を置く戦時『社会国家』構想の一類型」(同上:154)とみなす。「社会国家」を使わずに、「軍事国家」もしくは「戦時国家」で意味は完全に通じる。