あるいは「メンタルの療養中」という表現は、そもそも言論活動が不可能なくらい重篤な症状を指すもので、精神科の利用自体を揶揄してはいなかった、というのが橋迫氏の弁明なのだろうか?

なるほど、そうした主張もあり得るのかもしれない。それでは、あまり好みでないが「統計とエビデンス」に基づいて、彼女の発言に至る時期の両者の言論活動を比較してみよう。すなわち、私が「鬱」から復帰して初の著作を刊行した2018年4月から、彼女が上記の発言を行った21年11月までの実績を対照するとこうなる。

国立国会図書館サーチにて検索

これでも橋迫氏は、「私も同じ双極性障害2型だが、私には與那覇を批判するツイートをする資格があるのに対し、與那覇は『他者を名指しで批判するような記事』を書いてよい病状にはない」と主張するのだろうか?

先に引用した彼女の「謝罪ツイート」が、私が求めた内容を満たしていないことは、上記によって明白であるから、私としては受理しかねる。

本当のところを言うと、個人的には、意見が異なり論争している相手にも「その人なりに頭を下げづらい部分」があるのだから、そこは大目に見て、謝罪の意を示した以上は受け入れてあげてもよいではないか、という気持ちはないでもない。

というか私としては一貫して、そうした寛容の精神で万事に臨んできたのだが、どうも最近はそのような姿勢こそが「あるべき大人の振る舞いではないだろうか?」と発言すると、

はいはい二次加害二次加害。年長男性が女性に上から目線で助言するのはマンスプレイニングです。ていうか私自身が当事者であり被害者なんですけど。権力勾配で優位にある者が「醜い争いを起こすな」って言うのはトーンポリシングですよね。フェミニスト批評あるいはフェミニズム批評という名前の分野があるんだけど、もしかしてこの人、知らないのかな?

のように、非難されるらしいのである。

「鬱」の前に2回会ったきりの、日本史でも分野違いの研究者が、鍵付きのプライベートなアカウントであまり上品でないクダを巻いていたことがなぜかパブリックな場で非難される事態が生じるまでは、世の中がそんなことになっているとはついぞ気づいていなかった。

私自身、そうした学問の「進歩」や「目覚め」(woke)について、ここ何年か学ばせていただいたので、ぜひ今回は、まぁ謝ったんだから多少は譲ってあげてもいいではないの、ではなく、当事者かつ被害者として一切のトーンポリシングを許さない態度を実践してみたいと考える。

したがって、橋迫氏が選べる途は、以下の2つである。

「『與那覇は精神科の利用者である以上、他人を批判する記事を書く資格はない』という趣旨のツイートは一切行っておりません」なる弁明を、中傷の被害者である私は受け入れない。ただし改めて自身がそうしたツイートをした事実を留保なく認め、釈明なしの謝罪を行うなら、前回の記事のとおり、私としては一切を打ち止めにする。

もちろん、そうしない自由も橋迫氏にはある。その場合は220万円の賠償を争う民事訴訟の法廷でお目にかかることになりそうだが、私としては手続きを公平に進めるため、提訴に先んじて、

公開情報の範囲では現状で唯一、橋迫瑞穂氏に連絡可能な大阪公立大学のセンターに、前回記した3つの質問に加えて、

④ 橋迫氏は上記のツイートを示されても、なお「『與那覇は精神科の利用者である以上、他人を批判する記事を書く資格はない』という趣旨のツイートは一切行っておりません」と述べているが、その釈明を妥当だと判断されるのか否か。

を問う書簡を、弁護士と協議の上で送付する

ことにする。なお、私の抗議が橋迫氏自身に届いていることは明白であるので、事前に職場気付の内容証明を本人に送る手続きは省略する。

私には、学者が重大な問題を扱うに際して「ゆっくり考えずにお答えください」のように、返答を催促する趣味はない。学問にふさわしい時間の流れ方は、「きっちりねっちゃりずっとXに入り浸って」行うレスバトルとは違うからだ。

期限は前回の記事と同じく、本年の大型連休が明けるまでとするので、学問の本義である熟慮と黙考の上で、お返事をいただけるなら幸いである。

(ヘッダー写真は、吉野作造記念館より。昔の学者の論考のタイトルって格好いいの多いですよね。大正時代におけるまさにwokeでした)

編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2024年4月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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