栄光の「R」を名乗る生粋スポーツ
サーキット直系を意味する「R」の称号は、マニアにとって特別の響きを持っている。速さを目指してスペシャルチューンされたメカニズムと精悍なスタイリング、そしてレースでの栄光のヒストリー……、Rモデルを構成するすべてがファンを刺激し、走りへの期待を高めるからである。
チェリーX-1Rは、スカイラインGT-Rとともに日産のRヒストリーを構成する名車だ。デビューは1973年3月、日産車初の本格FFモデルとなる初代チェリーの派生モデルとして誕生した。ベースモデルは大胆なスタイリングで人気を集めたクーペX-1である。
X-1Rはレースでの優位を決定的にするために日産が送り出したスペシャルモデルだった。当時チェリーはサニーとともにツーリングカーレースに積極参戦していた。FFレイアウトが生み出す俊敏なハンドリングと軽量ボディは高い戦闘力を発揮し、しばしば上級クラスを上回る好成績を叩き出した。「日本一速い男」と呼ばれた名手、星野一義選手もチェリーでレースを闘い数々の勝利を物にしたひとりである。
シャシー性能を大幅にスープアップ
X-1Rの注目ポイントは、シャシーにある。もともとチェリーX-1が搭載していた1.2リッターのA12型ツインキャブ・ユニット(80ps/6400rpm)は、鋭い吹き上がりとパワフルさで定評を持つ生粋のスポーツ心臓だった。現在の軽自動車よりも大幅に軽い645kgの車重に対して実力は十分で、パフォーマンスはすでにリアルスポーツの域に達していた。日産のエンジニアは、A12型のパワーをフルに路面に伝達することに注力するほうが、エンジンに手を加えるよりも「速さに直結する」と判断したのだ。
この判断は賢明だった。ポテンシャルを増した足回りを持つチェリーX-1Rは、いささか「ジャジャ馬」だったノーマルのX-1より大幅に乗りやすく、ワインディングロードではもちろん、シティユースでもアクセルを気軽に踏み込めるクルマに変身していた。つまり一段と速い「狼モデル」になっていたのである。サーキットでもいっそうの精彩を放ったの「はいうまでもない。
具体的に説明しよう。X-1Rは、フロントがストラット式、リアがトレーリングリンク式のサスペンション型式はそのままに、ダンパーを強化、同時にバネレートを固めた専用スポーツタイプを採用した。さらにタイヤサイズを拡大することで足回りの大幅なポテンシャルアップを実現した。とくにタイヤは165/70HR13サイズと当時としては偏平の高速仕様で、210km/hまでの速度をサポートするH規格であることがRを名乗るクルマであることを示していた。
メーカーが手がけるスポーツモデルだけに「止まる性能」も大幅にアップしていた。前輪のディスクブレーキを大径の強化タイプとすると同時に、油圧を2系統式にすることで大幅に信頼性をアップさせたのだ。実はスポーツモデルにとって、ブレーキ性能はエンジン性能と同じぐらい重要な要素といえる。確実にスピードを落とせる信頼のブレーキがあってはじめてドライバーはアクセルを踏めるのだ。ポルシェがブレーキ性能に徹底的にこだわっているのは、そうした理由からだ。