一時は歴史上最高のマッド・サイエンティストとしての冠を授けられたニコラ・テスラによる数々の発明品や理論だが、ライバルとされていたエジソンや、時の権力者たちからの政治的・経済的な妨害などによって意図的に作り上げられていたという、半ばでっちあげ状態のまがいものであったことなどが昨今暴かれている。
■殺人光線「デス・レイ」開発計画は実在したのか?
そのニコラ・テスラの発明品の中に、SFの世界ではすでに当たり前になってしまっている殺人光線「デス・レイ」があったのではないかという噂は、テスラの死の直後から今日に至るまであちこちで話題にのぼっている。オンラインジャーナルの「Your News Wire」では、このたび情報公開法に基づく文書開示によって明らかにされたFBIの機密文書に記載されているテスラのデス・レイについてレポートされている。
1856年にオーストリア帝国(現在のクロアチア西部)で生まれたニコラ・テスラは、グラーツ工科大学在学中に交流電磁誘導の原理を発見するなど、若い頃から電気工学の分野における突出した才能を発揮していた。その彼が1884年、28歳の時にアメリカに移住して発明王エジソンの元で働くが、直流電流の優位性を訴え、すでに商業的な成功を収めていたエジソンに対して交流電流を支持していたテスラは、エジソンとの確執が原因で会社を去り、テスラ電灯社を設立する。
その後テスラは、交流電源などの特許を取得するも、エジソンのように商業的な成功を収めることなく、電気事業大手ウェスティングハウス社や財閥J・P・モルガンからの支援を受けて研究を続けるなど、その発明の対価としては恵まれない研究環境下で、現代社会を支えている画期的な発明品から“トンデモ科学”的な発明品まで、数多くの発明品と理論を残して1943年にニューヨークで亡くなっている。
彼の死後、所有物は外国人財産管理局によってすべて持ち去られ、その3週間後に詳しい分析のためにFBI調査チームの手に渡っている。その中には、なんとドナルド・トランプ氏の叔父ジョン・トランプ氏もいたという。
当時の科学的常識を超越する優れたアイデアと、数々の発明品を残したテスラは、死後数々のリサーチャーや信奉者たち、そして陰謀論者から研究の対象とされてきたが、特に死の直後から現在までデス・レイの発明に関する話題は途切れたことがない。
サイエンス系ブログの「io9」のローレン・デイヴィス氏によれば、1930年代にテスラはビーム状の兵器の開発に成功したと報告されている。それは皮肉にもピース・レイ(平和光線)と呼ばれ、エネルギーを集約したビーム状の兵器で、敵対する軍とその兵器工場などを壊滅させ、文字通り存在してもらいたくないモノをすべて消し去り自国に“平和”をもたらすビーム兵器であったという。
公式な記録によれば、実際にはデス・レイであるピース・レイをはじめ、さまざまなあり得ない発明品の噂は絶えないが、それはあくまでも噂であって、噂以外のなにものでないというのが通説だが、本当にテスラはデス・レイを発明しなかったのであろうか。