さらに武士の俸禄は先祖代々同じでしたが、江戸時代は貨幣経済が発展したということもあってインフレが進んでおり、一両は初期の頃は現代の価値で10万円ほどだったのに対して、幕末の頃には現在の価値で3000円にまで下落しました。

そのようなこともあって御家人の生活は時代を追うごとに厳しくなっていき、彼らは副業にて生計を補ったのです。

(※貨幣の現代換算はかなり難しい問題で、当時と現代の生活様式の違いなどもあるため、これらの情報から今でいう年収100万円程度の生活と考えないよう注意してください)

それでも、彼らは職務に励み、家族を支え、己の誇りを持って幕府のために尽くしました。

このようにして、御家人たちは裕福でもなく、貧困でもない、しかし誇り高き武士としての生活を守り続けていたのです。

植物の売買、傘張り、中には特技を生かした御家人も

江南信國撮影「傘貼りの仕事」、傘張りは武士の代表的な副業だった
江南信國撮影「傘貼りの仕事」、傘張りは武士の代表的な副業だった / credit:wikipedia

それでは御家人たちは、どのような内職を営んでいたのでしょうか?

その中でも有名なのが、植物栽培です。

というのも江戸時代後期、江戸では園芸ブームが巻き起こっており、植物に対する需要が高まっていたのです。

特に、珍しい植物や花が高値で取引されることがあり、御家人たちはこれを機に大いに動き出しました

例えば、四谷太宗寺で行われた鉢植えの展示即売会では、御家人や旗本の隠居たちがこぞって参加し、時には大名や町人と肩を並べて植物の売買を行ったのです。

珍品の植物が高騰する中、少給の御家人たちもこの市場に参入し、生計を立てるために内職として植物栽培を手掛けるようになったのです。

このように御家人たちにとって植物栽培はかなりメジャーな副業であり、町内の御家人同士が協力し合い、特定の植物を栽培し、その技術を高めることで、地域全体がその産業で知られるようになる例も見られるようになりました