ところが、実際には自治州法を優先して、スペイン語を全く教えないというのが現状となっている。特にバレアレス諸島州ではそれが顕著になっている。スペイン語は日常生活の中で接する機会が多くあるから教える必要がないというのが彼らの言い分である。
スペイン語による授業を受けようとすれば、私学の学校に入学させねばならなくなる。そうなると、親にとって教育費の負担が増すことになる。
1980年代まではカタルーニャの大学でもカタラン語での授業が分からない生徒が一人でもいれば、教師はスペイン語での授業をしていた。ところが、1990年代後半からプロセスと称して独立への動きが生まれてからは教育の面でもカタラン語を優先し、スペイン語を無視する傾向になったのである。カタルーニャ州でも特にバルセロナ県ではスペイン語を喋る比率が高い。しかし、バレアレス諸島州ではカタラン語が徹底している。
スペイン語を採用しない弊害は病院での専門医が不足現実にはそれに問題がないわけではない。公的機関で勤務するにはカタラン語で読み書きできる必要がある。例えば、病院は深刻だ。カタラン語を理解できないと勤務できなくなっているからだ。だから、いくら優秀な医師でもカタラン語が理解できないとカタルーニャ州での病院で採用されないし、また医師もそこでの勤務を敬遠するようになる。
その影響で、バレアレス州のイビサ島では病院で専門医が不足している。いくら優秀な医師でも言語問題を敬遠してバレアレス諸島州の病院で勤務することを敬遠するのである。にも拘らず、政治家はカタラン語の普及にしか目が行かないのである。
また、幼少の頃から教科書もカタラン語で書かれたものしか知らないと、それが影響して大人になってスペイン語で読み書きすることに慣れない傾向が生じる人も出て来るであろう。
言語はそれが誕生した地域の文化を表明するものであるから尊重されるべくである。が、バレアレス州やカタルーニャ州のように100%カタラン語しか教えないというのは将来必ずマイナイ影響が出てくるはずである。何しろ、カタラン語はカタルーニャ州とバレアレス諸島州から一旦外に出ると通用しなくなるのである。
ラテンアメリカに行ってもカタラン語では通用しない。スペイン人は国よりも自分が生まれ育ったところを恰も国のごとく愛する傾向にある。その意味でもカタルーニャやバレアレスではカタラン語への愛着が強すぎるのである。
カタラン語を知らないスペイン人はそれを理解することはほぼ不可能に近い。それだけスペイン語とカタラン語には開きがある。ところが、バレンシア語は筆記がはカタラン語と同じ。但し、発音が異なる。だからバレンシア語を理解する人にはカタラン語を理解するのは容易である。