WRCでの苦戦、そして突然の退場
255馬力にパワーアップした2リッター直4DOHCターボの3S-GTEエンジンも、その頃になるとスバル(インプレッサWRXとEJ20ターボ)、三菱(ランサーエボリューションIIと4G63ターボ)のパワー競争についていけていません。
さらにST205型セリカGT-FOURは、ベース車同様に先代モデル(ST185H型)より軽く、ST185H型のグループAホモロゲーション車、GT-FOUR RCに対しても80kgの軽量化に成功していましたが、ライバルはより小型軽量ハイパワー化しているため不利です。
ST185H型の時点でワイドフェンダーを組んで3ナンバー化していたので、GT-FOURの先代・現行比較ではST205型の方が優れている面もありましたが、ライバルの進化に追いついていけないのが実情で、WRC用ワークスマシンの開発も難航していました。
結局、デビュー年の1994年はWRCの最終戦(RACラリー)に顔を出したのみ、2位に入ったので、そこまで先代ST185H型が頑張って重ねたポイント差を死守して2年連続のWタイトル獲得に貢献はしたものの、明るいニュースはそこまで。
翌1995年のWRCでは戦闘力不足により、第4戦フランスのツール・ド・コルスで1勝を上げるのが精一杯、しかも第7戦スペインのラリー・カタルーニャでは、エンジン出力を規制する「リストリクター」というパーツに不正が発覚してしまいます。
要するに不正行為でパワーアップしていたわけですが、これで失格のみならず同年のポイントは全て剥奪、トヨタワークスはWRCに1年の参戦禁止を言い渡され、ST205型は「勝てないうえに不正で退場させられたWRCマシン」という汚名まで被ったのです。
1998年にトヨタはWRCへ復帰しますが、その時のマシンはもうセリカGT-FOURではなく、ライバル同様に同車のパワートレーンを小型軽量のカローラFX(E110系・日本未発売)へ詰め込んだ、WRカーのカローラWRCとなっていました。