ところが一度マンスプレイニングって言葉を覚えて濫用していると、最後は「男性と意見が衝突した」だけでも「マンスプされた!」と叫ぶ人になってしまう。それ、あなたがその用語知ってるって言いたいだけですよね状態なんですが、でも本人は大まじめだったりするわけです。
(*) 実は一番の難題は、エクスプレイニングが発達障害から来る場合です。多くの当事者の証言にもあるように、症状として他の人の内面がわからないので、エクスプレインしがちなんですよね。「これは相手も知ってるかな」「この言い方は不快にさせちゃうかな」とか、気を回せないんで。
「この用語でググってみよう」「この概念で世の中を見てみよう」といった検索ワードは一歩誤ると、使った結果得られるイイ気持ち(こんなこと言える俺スゲー! 私は真実を見抜いている!)に依存させる合法ドラッグになりがち。そうした副作用にどこまで留意しつつ言葉を使えるかが、その人の知的な健康さを決めてゆきます。
さて、そろそろ答えをお知らせすると、冒頭の引用の出典はアドルフ・ヒトラー『わが闘争』(角川文庫・改版、上巻90頁)。カッコに入るのは「ユダヤ人」でした。
ちょうど、気に入らない政治家の名前を見るや「統一教会を探し求める」癖がついちゃった人たちと同じように、ヒトラーも人生のある時期から、イラッと来る表現や主張や団体と出くわすごとに「これユダヤ人が関わってないか?」と調べ出す人になったんですね。その帰結については、知らない人はいないでしょう。
ヒトラーの時代、個人情報を調べるのは相当に手間だったはずですが、今日の総SNS社会ではさっと検索するだけで同じことができてしまう。だから私たちはいま、かつてなく誰もが「カジュアル・ヒトラー」になりがちな時代を生きている。
こうした観点から、たとえばアーレントをはじめとする古典の知見とも対照しつつ、インターネットでいま生まれつつある「新しい全体主義」との向きあい方を考える論考になっています。多くの方にご一読いただけるなら幸甚です。
P.S. 私は昭和史の著書はあっても、ファシズムの専門家ではないのですが、ナチス研究のプロってこうした現状に対してなにしてるんですかね。
まさか、アイヒマンのようにオンライン全体主義をジーク・ハイルしながら「ナチスは『よいこと』をしてないうおおおおおお!」と叫ぶのが対策だと思ってる? いやそれはないでしょう、腐っても学者なんですから(笑)。
編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2024年3月7日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。
提供元・アゴラ 言論プラットフォーム
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