38915円87銭。日経平均の史上最高値であります。つけたのは1989年12月29日ですので遠い昔の物語なのでしょう。その頃に株式市場で踊っていた人たちの中心年齢は70歳から上になっているかと思います。私はちょうど秘書室勤務時代で当時ではまだ珍しいロイターの株式市況電子ボードが社長室にあり、それを眺めながら社長と談笑していたのをよく覚えています。

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あれからみごとに下向きの社会となり、会社が次々と倒産し、リストラの嵐が吹き荒れ、雇用が変わり、モーレツ社員がリゲイン飲んで24時間働くのはもう古いという大反動が起きました。既にカナダにいた私はアメリカの一部のエリート層やエリートを目指す層が激しい出世競争でしのぎを削り、長時間労働をしている記事の一方でOECDが発表する日本の年間総労働時間が目に見えて減っていくその変化振りに驚いたものです。

私が北米に来た頃にはまだメードインジャパンとか日本のメーカーの商品はあちらこちらに並んでいたのですが、5年、10年と経つうちに個人向け消費財からはジャパンの文字が消えます。まさに底なしの苦しさに入っていたのですが、日本国内がそこまでもがいていたという感じはしません。お金が無いなりに生き方や楽しみ方を見つけ出したのでしょう。しかし、2003年4月には日経平均は7607円にまで下げるのです。

変節はコロナだったと思います。ざっくり言えばそこでメンバーが変わった、主導権も変わった、リーダーも変わったのです。「変わる、変われると言いながら…」を10年、20年続けた中で日本が自力で変われないのは日本の歴史を紐解けば一目瞭然。今回は黒船ならぬコロナという感染症が日本を含め、世界を襲ったわけです。その衝撃が変われない日本の背中を押したとすればどうでしょうか?

昨年から続く大いなる謝罪問題の連続は過去の膿出しともされます。経営陣も変わりつつあります。経済誌に紹介される新社長は私と同じぐらいの60代前半の年齢の方が中心帯で、私より10ぐらい若い方もポチポチ生まれています。JALの新社長に就任する鳥取三津子氏はCA出身59歳です。昔のJALなら考えられない人事でしょう。