昭和時代に入るとこの島には大日本帝国陸軍の毒ガス工場が建設され、島民はすべて追い出されることになりました。それでも漁業以外に主要な産業のなかったこの地域に官営工場が建設されたことを地域住民は喜んだといいます。

こちらの毒ガス資料館では毒ガス工場が建設された島の歴史と、その被害の実態、防毒マスクなどの展示がされています。毒ガスを製造する過程で多くの人が命を奪われ、皮膚病や気管支の病など後遺症に悩まされることになりました。

資料館周辺には毒ガスに関連する施設が遺されています。こちらはびらん性ガス・イペリットと呼ばれる毒ガスの貯蔵庫でした。鉛のタンクに詰められた毒ガスが貯蔵されていたといいます。さきほどの中部砲台跡も毒ガスの原料保管庫に転用されました。昭和の戦時下における大久野島は「毒ガスの島」として国の最重要機密事項として秘匿され地図から消されるに至ったのです。

戦後、国民は豊かになりこの地にも休暇村が設立されました。しかしこの休暇村建設中にも作業員が残った毒ガスによる被害を被ったり、土からヒ素が検出されるなどといった問題が発覚しました。

ヒ素の検出はもうなくなりましたがそれまで使っていた井戸水は使わず、休暇村の水はすべて島外から運ばれてきています。本土からパイプをひいて水をひこうという計画もありますが、日本軍が証拠隠滅のため海中投棄した毒ガス兵器が見つかったため計画が中断するなど現代においてもその影響は残っています。

ちなみにウサギも毒ガスの被検者として利用されていたといいます。毒に汚されたウサギはすべて殺処分されたため、今島にいるウサギは全く無関係ですが、ウサギたちも悲しい歴史の被害者となっていました。

かわいいウサギや美しい瀬戸の海を持つ大久野島はその一方で暗い戦争の歴史を持つ悲劇の島でもありました。ウサギと戯れつつも日本がかつて犯した過ちを二度と繰り返さないよう、歴史にも目を向けることの大切さを感じました。

編集部より:この記事はトラベルライターのミヤコカエデ氏のnote 2024年1月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はミヤコカエデ氏のnoteをご覧ください。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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