企業などの組織は論理的に構成され、組織の業務は論理的に編成されている。その論理性が経営の効率性を支えているわけである。しかし、その論理的な効率性のもとでは、創造が起きるとは考えられない。創造は、それが真に新しいものの創出である限り、無より生じるのであって、過去から現在につながる論理的な展開の先に生まれるはずはなく、過去との断絶として、唐突なる変異として生起するのである。

組織の論理から創造が生まれないとしたら、創造は組織に属さない個人から生まれるほかない。組織に属さない個人というのは、全く組織に属さない独立した個人とも限らず、部分的に組織に属する個人でもいい。実際、個人の人格の全体が組織に属するはずもなく、逆に全く組織に関係することなくしては個人の生活がなりたたないことを考えれば、組織と個人との関係は、無限に多様な濃淡のもとにあり得るわけである。

123RF

働き方改革というのは、組織に個人を帰属させる伝統的発想を超えて、組織と個人との間に自由で弾力的な関係を構想するものだといってよい。人は誰でも、勤務先の組織のほかに、家族、趣味を同じくするものの会、同窓会、地域社会、ボランティア活動の会などの多様な集団に属しているわけだが、そのなかで勤務先の組織だけを特権化し、その他の集団における活動を全て余暇に押し込んできたのに対して、その特権化を排して、勤務先と他の集団、勤務時間と余暇の関係を相対化しようとする試みこそ、働き方改革の本質である。

では、なぜ働き方改革が必要なのかといえば、創造を誘発するためにほかならない。もはや、伝統的な組織のなかに個人を押し込めておいては、創造は起き得ないのであり、創造がなければ成長はないのである。あるいは、もっと簡単なことで、人は、創造的に生きなければ、面白く楽しく生きられないのである。故に、働き方改革なのである。