疑いの気持ちを向けられた印象

世の中、不誠実な人は少なくないので疑いの気持ちを持つこと自体は分かるのだが、あまり全面に出さない方が良いだろう。なぜならとても印象が悪いからだ。

自分自身の第一印象はなかなかコントロールできない。これは仕方がない。だが、自分が主張する時はそれなりの論理的根拠を出し、説得力をもたせるように意識をしているつもりだ。それでも疑いの気持ちを全面に押し出され「お前は信用できない」と言われると、誰しもあまりいい気持ちはしないだろう。

現在の自分は、労力を使って疑いの強い人への説得はしていない。疑いの気持ちがあまりに強い人にはもはや何をいっても信じてもらえないからだ。件の購入画面を見せても「これはキャプチャ画像の編集をしていませんか?」と次の疑いが生まれるのが常である(経験済)。

結果として自分は疑われても構わない。信じてくれる人と楽しくコミュニケーションができればいいという思考に至った。そして自分自身、仮に目の前の人をイマイチ信用ができないと感じても、疑う姿を露骨に出すことはしないように気を付けている。心でそう思うのは自由だが、「あなたは信用できません」と直接的、間接的にいってくる相手を丁重に扱いたいと思う人はいない。そうなると結局、損をするのは自分自身だ。

心の中で考えても、疑いの気持ちを表面に出さない方がよいだろう。信じられなければ他へいくか、自分の猜疑心が正しいかを確認することに時間を使う方がよほど生産的ではないだろうか。

 

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