総選挙の結果は、自公政権は過半数を失ったが、野党が勝利したわけでもないという宙ぶらりんな状態になってしまった。
過半数233に対して、自民191と公明24で215。無所属のうち自民系が6で、私が国際基準では極右だという日本保守党と、右派系ポピュリストだと分類する参政党が3ずつなので、合計は221。
ここまで酷いことになったのは、せっかく総選挙を前に挙党態勢をつくろうということで総裁選挙をしたのにもかかわらず、次点になった高市早苗氏が総務会長を蹴って党内野党としての姿勢を最初から明確化し、それに対して、石破首相は偏った閣僚人事をし、さらに、極端に大量の非公認者・比例名簿不掲載者を出すことで対抗した。
そして、極端な右派的な主張をする日本保守党が設立され、自民党に懲罰を与えるべきだとか、石破首相に投票した議員は落とせとか扇動し、それに自民党内の高市支持者がネットなどで呼応した。
しかも彼らは、立民の野田佳彦代表は保守派なので、石破氏よりはましだとすらいって批判しなかった。たとえば、投票日直前に発売された、『WILL』『月刊hanada』二誌の表紙をみたら、野党批判は一切なく、ひたすら石破内閣や自民党を攻撃する記事ばかりだった。
有権者のほとんどは、自公政権を見限ったのでなく、お灸をすえるとか、石破首相を退陣させるために自民党に懲罰を与えたら、さじ加減を間違えて自公両党が過半数割れに至ったのである。
その結果、保守系の議員の多くが議席を失った。試しに高市氏が応援に入った候補の勝敗は、17勝41敗だったという計算もある。そして、これで憲法改正など保守派の大胆な政策はほとんど実現可能性がなくなった。あの世の安倍元首相も、あまりもの馬鹿らしさにさぞ怒っているだろう。
さらに、保守党も三議席は確保したが、愛知の河村たかし前名古屋市長が小選挙区で復帰し、そのお膝元の東海で比例の一議席をとったのであって、東京では百田尚樹氏とともに創立者のひとりである有本香氏は落選。排除した飯山あかり氏の怨念に負けたようなものだ。近畿で最後に一議席を滑り込みで獲得したので、完全な敗北ではなくなったが、保守派全体の落ち込みを演出しただけだった。