■飛行機で旅立った2人
一方、妻子ある父親だったウィルキンソンは「エイリアンが何であるか、彼らがどこから来たのか、そして彼らが私たちに何を望んでいたのか」答えを求めて日夜研究に打ち込んでいた。
そしてUFO研究がきっかけで出会ったハンラスとウィルキンソンは、驚くべきことに研究の本場であるカリフォルニア州へと引っ越す計画を立て、いとも簡単に実行へ移した。その背景にはハンラスがFBIに目をつけられていることに気づいたという事情もあった。ハンラスは勤めていた家電メーカーを何の迷いもなく退職した。
こうしてカリフォルニアに移った2人は、UFO研究のコミュニティを通じてジョージ・アダムスキーやジョージ・ヴァン・タッセルら高名なUFO研究者たちと出会うとともに交流を深めていったのだ。
新天地でUFO研究と兵器の作成に没頭していた2人だが、その後、あまりにも不可解な失踪を遂げることになる。
1953年11月10日の朝、ハンラスとウィルキンソンは「ボスコ」からの指令だったのか、ロサンゼルス郡ガーデナ近くの小さな飛行場へと赴いた。飛行場までの移動にはハンラスの自家用車ではなく、なぜかレンタカーが使わており、その真意は不明である。
ハンラスは数年間の飛行機操縦歴を持つパイロットでもあったが、数日前にこの飛行場で小型機をレンタルする手続きを済ませていた。飛行場に着いた2人は、すべての書類にサインをして機体に乗り込んだ。
飛行場のスタッフは彼らが「砂漠地帯にいる友人に会いに行く」と語っていたと証言している。機体には十分な燃料が積まれており、2人は同日午後の遅くならないうちに戻ってくる予定であった。
こうして無事に飛び立ったセスナだが、彼らはその日の午後はおろか永遠に戻ってくることはなかったのだ。
一帯の捜索が念入りに行われたが、2人と飛行機の姿はどこにも見当たらなかった。UFO研究家たちの間では、空中で「ボスコ」の乗るUFOと合流・内部に収容されてどこかへ行ってしまったという指摘もあるようだ。
事件はすでに発生から70年近く経過しており、2人が地球上のどこかで生きている可能性はきわめて低いとも考えられるが、この謎の失踪事件に新たな動きが見られるようなことがあるのだろうか。今でも彼らの足取りをつかもうと試みる研究者は多い。続報が入れば、すぐにお届けすることを約束しよう。
提供元・TOCANA
【関連記事】
・初心者が投資を始めるなら、何がおすすめ?
・航空機から撮影された「UFO動画」が公開される! “フェニックスの光”に似た奇妙な4つの発光体
・有名百貨店・デパートどこの株主優待がおすすめ?
・ネッシーは巨大ウナギではない! 統計的調査結果から数学者が正体を予測
・積立NISAで月1万円を投資した場合の利益はいくらになる?