■誰一人起訴できずに未解決事件へ
3人の遺体はいずれも酷いダメージを受けていて、検死の結果、ハンマーによる打撃と散弾銃による銃撃によって死亡したことが明らかとなった。そして捜査は殺人事件に切り替わることになる。
遺体の状態から、殺人は1923年12月下旬から1924年1月上旬に発生したと推定された。3人のうちの1人が山小屋で食事の準備をしていたところを襲われ、ほかの2人はその前後に別の場所で銃撃に遭って殺害された後、3人の遺体がソリで湖に運ばれて氷に空けた穴から沈められたと考えるのが妥当であった。犯人は1人以上と推測され、単独でも犯行は可能であると考えられた。
警察はすぐに容疑者を割り出し、山小屋からそれほど遠くないカルタス湖の小屋に住んでいるインディアン・エリクソンという名の密造酒造りの人物を疑った。しかしアリバイが立証されるとすぐに釈放した。
次にリストアップされたのは同業の毛皮猟師、チャールズ・キムゼイで、昨年の夏にニコルズの財布を盗んだのではないかという疑惑で2人は喧嘩をしていたのだった。さらにキムゼイにはいくつもの犯罪歴があり、1923年には荷馬車の荷物を強奪し、運転手の殺害を試みたことで逮捕されている。しかし、事件が裁判にかけられる前に逃亡をはかったのだった。
当局はキムゼイの捜索における情報提供に1500ドルの報奨金を公示したが、彼がどこにいるかは誰にもわからなった。キムゼイが経験豊富な猟師であることを考えると、荒野に隠れていることがじゅうぶんに考えられた。1924年1月24日には毛皮でいっぱいの袋を持って町にやってきたキムゼイが、毛皮商人に毛皮を売ったのではないかという目撃証言も出てきた。
この「溶岩湖殺人事件」の9年後の1933年2月17日、キムゼイはモンタナ州カリスペルで発見されて警察に逮捕され、尋問のためにオレゴンに連行された。警察はキムゼイを起訴しようとしたものの、1924年1月に毛皮を購入した毛皮商人はその男をキムゼイと明確に特定することができず、また事件当時のキムゼイはモファットトンネルで坑夫として働いていたと言い張り、溶岩湖の殺人のすべてについて否定したことで起訴は取り下げられることになる。
しかしキムゼイは1923年のハリソンの殺人未遂で起訴され、オレゴン州立刑務所で終身刑を宣告された。キムゼイは罪を償うことになったが、依然として「溶岩湖殺人事件」は公式にも未解決のままである。
本事件を取り上げた2013年の著書『The Trapper Murders』の中で、犯罪ノンフィクション作家のメラニー・タッパーは、キムゼイがレイ・ジャクソン・ヴァン・ビューレンという男と組んでいたことを指摘している。
しかし、ヴァン・ビューレンが関与していたのか、またはキムゼイが共犯者であったかどうかは証明されておらず、あろうことかヴァン・ビューレンは1938年に自殺し、真実は彼と共に墓に封印されることなる。そしてもちろんキムゼイもその後に亡き人物となる。
今日まで「溶岩湖殺人事件」はまったく解明の糸口が見つからず、誰一人殺人罪で起訴されていない。3人の毛皮猟師が凍った湖でどのように死亡したのか、誰が何の目的で殺したのか、依然として謎に包まれたままだ。そしておそらく、このままコールドケースとして永遠に真相は闇の中に葬り去られるのだろう。3人が山小屋に滞在中、1度は毛皮を売りに町に出ていることから、山小屋の中にはそれなりに多額の現金があったとしてもおかしくはない。どこからかそれを知って現金を強奪に来たキムゼイの犯行だと考えられなくもないのだが……。
提供元・TOCANA
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