最高水準の料理人の料理はどうやって作られますか?レシピ通りに作っても絶対にまねできない域があると思います。この場合レシピがコンピューターの役目なのです。取説があるなら大丈夫だろう、という発想ですね。

問題はそれに止まりません。コーポレートガバナンスの一環で様々な製品や部品に対する品質管理が求められ、社内、社外、さらには役所の審査といったプロセスをクリアする頻度は飛躍的に高まってしまいました。働き手はこれに疲弊したのです。つまり、仕事とは何か、と言われれば製品開発ではなく、製品管理の業務に時間を取られるようになったのです。これが全体のクオリティを下げてしまったと考えています。

この切り口でこの問題を断じた書き物はあまりないと思います。誰もが経験しているのに誰もがそれが当たり前だと思うがゆえに気がつかないのです。

私が反省していることの一つに最近竣工したグループホームの完成度が自己満足度では80点しか取れなかったことです。なぜか、といえば私自身が設計当時に図面に穴が開くほど目を凝らして創造力と図面のかけ合わせができなかったこと、業者が折々作るshopdrawing(施工図)に目が届かなかったこと、そして建物の期待品質に対して施工会社の能力が足りなかったことがあります。

つまり私自身も罠にはまったのです。管理ばかりに気を取られ、本質を見落としたのです。もちろん、北米は餅は餅屋的な発想があり、自分のテリトリーの仕事を他人といちいちシェアせず、タスクが完了したら「ほい、できたぞ」的なところがあるのもまた失敗の本質である気がします。

私が特にトラップ(嵌められた)したのは価格上昇に対する制御でした。建設業界の価格の上昇ぶりは年に10-20%ぐらいの感覚で、下請け業者と契約済みであっても契約通りにいかなくなるケースが頻繁に起き、その対応に振り回されたのです。タイトルの通りまさに「上がる価格、下がるクオリティ」なのです。

どんな業種でも共通ですが、設計図面があります。それには意匠と実施設計があるのですが、意匠、つまりアイディアやデザインの本質部分が施工時に誰にも伝達されず、実施設計だけを頼りにするため、何を作っているのか理解されていないのです。それこそコンピューターのプログラミングの世界でも漫画のような制作物の世界でもそうなりかねないのです。

ではどうすればよいのか、といえばコンセプトをしばしば確認し、今やっている作業は全体のどこの部分なのか、という理解を作業する人全員に伝わるように改善するしかないと思うのです。

今でもそうだと思いますが、私が建設会社の現場で勤務していた時も朝礼が必ずあり、工事主任が作業員全員に今日の仕事全体の流れと気を付ける点をきちんと伝達していました。安全担当だった私が百数十人のまえで皆さんに話をすることもしばしばありました。それは私自身が、今、何の仕事をしているのか掌握する必要があるという意味です。事務屋だから現場は知らないでは済まされなかったのです。

最近の危惧は出社せずに在宅勤務が当たり前になったことです。日本はまだ比率は少ないですが、北米は相当進んでいます。それが原因で「業際」の調整が不十分になっています。ボーイング社などは部品の組み合わせであり、何千、何万工程の業際がきちんと共有されていなければ飛行機がきちんと飛ぶことはないのです。ロケットも同様。ここに私はメスを入れるべきだろうと考えています。

では今日はこのぐらいで。

編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2024年3月14日の記事より転載させていただきました。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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