ここ2年ほど、円安が続いてきたが、今年は円高への転換、あるいは過度の円安の修正が予測されている。この間、岸田政権の「物価高対策」はほとんど功を奏さなかった。
江戸時代後期の江戸幕府は、物価対策には非常に力を入れていた。江戸後期の経済トレンドは米価安・諸色高というものである。米価が下がり、それ以外の物価が上がっていく。
周知のように、江戸時代の経済は米本位制である。武士たちは年貢米の形で収入を得て、これを換金して生活する。したがって米価が下がり、それ以外の物価が上がることは、幕府や諸藩の財政難につながるし、個々の武士の生活難にもつながる。
いわゆる江戸幕府の三大改革(享保の改革・寛政の改革・天保の改革)は、物価対策を一つの柱としていた。享保の改革を行った徳川吉宗が米価の安定に尽力し、「米将軍」と呼ばれたという逸話は良く知られているだろう。
三大改革で発令された倹約令は、二種類に大別される。一つは、幕府や諸藩が財政支出を抑え、財政赤字を解消するというものである。
もう一つは商人などの身分不相応な贅沢を取り締まる、というものである。お金に困っている武士が倹約するならともかく、商人に倹約を強いるのは、いささか分かりにくいかもしれない。
実はこれには、武士の窮乏と商人の台頭によって動揺しつつある身分制を再強化するという意味合いがある。だがそれだけではなく、倹約令には物価対策の意味もあった。特に天保の改革からは、商人の奢侈を徹底的に取り締まることによって、インフレを押さえこもうという意図が垣間見える。
商人が活発に消費すればするほど、無駄遣いをすればするほど、経済は活性化し、結果として物価は上がる。バブル経済を想起すれば理解しやすいだろう。
逆に言えば、贅沢の取り締まりによって、意図的に経済を冷え込ませれば、物価を下げることができる。要はデフレ不況である。
意図的にデフレ不況に誘導するという政策は、現代人には理解しにくいかもしれない。けれども、バブル経済末期にも、物価上昇とバブル成金への不満が国民の間に広がり、金融引き締め政策によってインフレ退治を進めた三重野康日銀総裁は「平成の鬼平」として喝采を浴びた(現在ではバブル崩壊の張本人として批判されることも多いが)。