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顧問・麗澤大学特別教授 古森 義久

毎年4月になると、私はベトナム戦争について考える。あの戦争が4月30日に終わったからだ。

その最後の日、サイゴン陥落と呼ばれた歴史的な大事件を現地で目撃したからである。そしてその体験こそ自分の長い記者生活でも、もっとも強烈に記憶に残る出来事だったからだ。

1975年4月30日、当時の南ベトナム(ベトナム共和国)の首都だったサイゴン(現在のホーチミン市)は北ベトナム軍の大部隊に占拠され、それまでの南の政府は粉砕された。

1965年のアメリカの本格的軍事介入で始まったこのベトナム戦争では、1973年に米軍が完全撤退し、その後の2年は南ベトナムへの北ベトナムによる軍事攻撃が続いた。その結果、中国やソ連の豊富な軍事支援を保った北ベトナムがアメリカの武器支援さえも削られた南ベトナムを一気に撃滅したのだった。

この歴史的な事件を当時の日本の左寄りのメディアや学者たちは「サイゴン解放」と呼んだ。だが現地にいて、その軍事粉砕の様子や南ベトナム国民の恐怖の実態を目撃した私たちは「サイゴン陥落」と呼んだ。南ベトナムの住民の多くが北ベトナムの共産主義政権による革命統治を嫌い、数百万という単位で生命の危険を冒して、国外へ脱出していった。「解放」ではなかったのだ。

私が4月にベトナム戦争を思うのは、毎日新聞のサイゴン駐在特派員として日本からベトナムに赴任したのも4月だったからだ。サイゴン陥落の3年前の1972年だった。その当時の南ベトナムでは北ベトナム軍が大攻勢を仕かけ、まだ残留していた米軍とも激戦を続けていた。その後の「和平交渉」で米軍は全面撤退し、北ベトナム軍はそのまま南領内に残留したのだった。

だから来年の2025年にはサイゴン陥落、つまりベトナム戦争の終結からちょうど50年、半世紀となる。今年の4月30日は49年目なのだ。だがそれでも私自身はベトナム戦争の終結時の現地の様子などをなまなましく思い出す。