イエスは罪なき状態で生まれてきた。そのイエスが33歳の若さで十字架上で殺害された。イエスの「死」は罪の結果ではなく、「受難」による「死」だ。キリスト教では、原罪ゆえに制裁下にある人類がイエスの十字架上の犠牲によって救いの道が開かれた、と教えている。

受難が発展の原動力としても、受難にどのように対応して克服していくかが問題となる。先述したように、自己憐憫、犠牲者メンタリティに陥る事もあるが、受難をその後の発展にチャンスとして生かすのは関係者、民族、国家の責任領域に入る。受難は即、その後の発展を保障するものではないからだ。

繰り返すが、人類の歴史は史的唯物論が主張するように戦争や闘争で発展してきたのではなく、「受難」を原動力として前進してきたことが明らかになれば、困窮下や病苦の中で生きている人々にとって、大きな慰めとなるメッセージだ(「歴史発展の原動力としての『受難』」2019年4月22日参考)。

なお、このコラムを書き終えた時、日本から羽田空港での日本航空の炎上報告と画像が届いた。1日は能登半島地震が発生したばかりだ。年初めに天災、人災が重なって襲ってきたわけだ。犠牲者には哀悼の意を捧げると共に、日本の国民が困難に負けず、問題解決のために全力を投入されることを願う。

Trifonov_Evgeniy/iStock

編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2024年1月3日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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