城下町など県庁所在地以外の弘前、郡山、松本、彦根、大和郡山、首里(※)に旧一中が置かれたケースでも、旧二中は県庁所在地にあったとは限らない。沖縄県では県庁所在地の那覇に置かれたが、青森県では県下二番目の城下町である八戸、長野県も城下町の上田、奈良県では大和郡山と奈良が近かったので、南部の畝傍(現・橿原市)に置かれた。膳所も当時は大津市外だった。

※旧一中設置当時は首里市(現在は那覇市首里)

また、立川、日川(山梨市)、防府、脇町(美馬市)、育徳館(みやこ町)、大村、臼杵、川内などは、現在の都市規模から考えると少し意外なところにあるかもしれないが、その事情は記事のなかで各県別の事情を解説している。

都道府県庁所在都市への人口集中と通学区域の全県化もあって、全般的には旧二中は全般的に苦戦している。ただ、8校も県下ナンバーワンというところがある。また、さまざまな工夫をして、旧一中の競争相手として位置づけられているろころもある。

せっかく、一中に負けない伝統があるのだから、何も工夫をしないままじり貧にならず、積極的な戦略で生き残ってほしいと思う。

提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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