Record Chinaの「ノーベル賞ならず、日本の科学研究能力の転落はどれほど深刻か―中国メディア」というタイトルの記事が目についた。
この記事の中で、世界知的所有権機関(WIPO)の2024年版「グローバル・イノベーション・インデックス」で日本が13位に転落したことを指摘していた。アジアでは、シンガポール、韓国、中国よりも順位が下だ。論文発表数の急激な低下が指摘されて久しいが、国の科学力の低下が顕著である。
当然ながら、研究機関の質の低下も指摘されているが、毎年予算が減り、人員削減が強いられ、研究室単位の定員枠も小さくなり、そこに、研究機関内外での会議や報告書類などが増え、研究に利用できる時間が減ってきている。科学力の強化が重要であると言われているが、この状況では研究力の低下は当然の帰結なのだ。
英国のTHEが発表した大学ランキングで日本から100位以内に入っているのは、東京大学(28位)、京都大学(55位)の2校だけだ。
精華大学(中国)12位、北京大学(中国)13位、国立シンガポール大学17位と東京大学よりも上位にランキングされていることに加え、50位以内のランキング大学が中国・香港・シンガポールから5校入っており、もはや、日本の誇りなどどこにもない。東南アジアからの留学生が激減していると聞くが、この状況では仕方がない。
日本は機会平等論ではなく、結果平等論が尊重され、運動会ではみんなで手をつないでゴールして、全員1等賞というばかげた教育が行われていた。科学力で競争するためには、一番にならなければならない。確かに、行き過ぎた競争に疲弊するような教育は問題があるが、世界中で競っている中で、太平の世を楽しんでいては、世界的な落伍者になるのは当然だ。
そして、総選挙での論点は依然として「裏金と政治改革」だ。この国の抱えている課題は多く、それらのかじ取りはどうするのか?教育費の問題も議論されているが、教育費の補助が主で、教育の内容など皆無だ。