目次
それは存在確率の波
ハイゼンベルクの不確定性原理

それは存在確率の波

いろいろ無理のあったシュレーディンガーの解釈に代わってボルンが考えたのは、波動関数が抽象的な可能性を表しているというものでした。

広がる波を計算している以上、波動関数からは電子の実際の位置は得られません。

では、我々は一体何を計算しているのかと言うと、それは電子がどこで見出されるかという確率なのだとボルンはいうのです。

ある地点Xとある地点Yで、波動関数を計算したとき、Yの方が値が大きいとすれば、それはYで電子が見出される可能性が高いことになります。

しかし、電子はXで見出されるかもしれないし、YでもXでもない場所で見出されるかもしれません。

シュレーディンガーの計算していた波とは、物理的に実在するものではなく、そこに電子があるかもしれないという存在確率の分布だとボルンは主張したのです。

歴史で学ぶ量子力学【改訂版・3】「私の波動方程式がこんな風に使われるのなら、論文などにしなければよかった」
(画像=二重スリット実験で見た波動関数。波束の振幅がもっとも高まる場所で電子は見出される可能性が高くなる。が、そこにあるとは限らない。 / Credit:THES,Elhoushi, Mostafa(2011)、『ナゾロジー』より引用)

しかし、これはシュレーディンガーにとっては受け入れがたい解釈でした。

物理学の世界は基本的に因果律に支配された決定論で記述されています。

例えばビリヤードで白ボールを別のボールにぶつけた場合、どのくらいの力でどの角度からぶつけたかによって、ボールが弾かれる方向と勢いは決まっています。

しかし、ボルンの解釈を当てはめてしまうと、ボール同士をぶつけたときに、どちらの方向へどのくらいの勢いで弾かれるのかは、確率でしか言及できず、いずれの状態になるか事前にはわからないことになるのです。

そんな馬鹿なことがあるわけない、というのがシュレーディンガーの考えでした。

なにより、せっかく自分が抽象的な電子の振る舞いを、連続して滑らかにつながる物理的な波として視覚的に表現し直したというのに、ボルンは再びそれを不連続で抽象的なものに戻してしまったのです。

そして、この確率解釈については、シュレーディンガー同様、納得していない人物がいました。それがアインシュタインです。

因果律と決定論を放棄する確率解釈は、アインシュタインにとってもありえないものでした。

だから彼はこういったのです。「神はサイコロを振らない」と。

ここから、量子力学は世界でもっとも成功した理論と言われながらも、その解釈を巡っては物理学の偉人たちが真っ向から対立し合う、奇妙な戦国時代に突入していくのです。

ハイゼンベルクの不確定性原理

解釈の仕方はどうあれ、世間の流れは完全にシュレーディンガーの波動力学に向いていました。

しかしそんな中、ハイゼンベルクはなんとか自分の行列力学を復権させようと頑張っていました。

あるときハイゼンベルクは、ベルリン大学でアインシュタイン、ラウエ、プランクといったそうそうたる顔ぶれの前で、行列力学の講演を行う機会を得ます。

この時点で若干25歳だったハイゼンベルクは、ひどく緊張したことでしょう。

アインシュタインは、「君の仮定はおそらく正しいだろう」としながらも、視覚的な電子の軌道を認めないハイゼンベルクの考え方に、「なんでそんなおかしなことを言い出すのか?」 と尋ねました。

これに対してハイゼンベルクは、我々は直接観測可能な量だけに基づいて考えるべきだと主張します。

しかし、アインシュタインはハイゼンベルクの「観測可能な量だけで理論を作る」という考えを否定します。

なぜなら、アインシュタインに言わせれば「何が観測可能かを決めているのは理論のほう」だからです。

何が観測可能かという問題は、ハイゼンベルクの理論の仮説に過ぎず、その考えに則って君は結果を見ているだけだ、とアインシュタインは言うのです。

この指摘にハイゼンベルクは意表をつかれ、よく考えてみるべき問題だと感じました。

またこの頃、ハイゼンベルクにとっては、もう1つ難しい問題が登場しました。

それがスコットランド人の物理学者ウィルソンが発見した霧箱の問題です。

霧箱というのは、過飽和状態の蒸気を満たした箱のことです。

ここに放射線を放つと空気分子が電離して、そのイオンを核に蒸気が凝結し、荷電粒子の軌跡が飛行機雲のように見えるのです。

歴史で学ぶ量子力学【改訂版・3】「私の波動方程式がこんな風に使われるのなら、論文などにしなければよかった」
(画像=霧箱の例。/Credit:ナリカチャンネル,B10-7762~3ペルチェ霧箱 Mistline<放射線の飛跡の観察>、『ナゾロジー』より引用)

波動力学では電子や光子は波であり空間をどんどん広がるので直線の経路など持ちません。

一方行列力学の考え方でも、電子などに移動の軌跡は存在しないはずでした。

電子や光に「粒子と波」という2つの性質を持たせるためには、明確な経路を持って移動しないというのは重要なポイントだったのです。

ハイゼンベルクの考えでは、電子は量子飛躍という突然ぴょんと別の場所にジャンプして移動するおかしな挙動をするものだったのです。

シュレーディンガーはこの考えを嫌って、波としての表現を主張しました。

しかしハイゼンベルクにとって量子飛躍は、絶対に外すことのできない量子力学の重要な性質だったのです。

では霧箱に見える軌跡は一体なんなのでしょう? これは本当に電子の軌跡を表しているものなのでしょうか?

ハイゼンベルクは、考え抜いた末に、この飛行機雲のような軌跡が電子の正確な位置を表すものではなく、だいたいの位置を示すものでしかないということに気づきます。

「これはぼんやりした点の並びに過ぎず、見ているものは電子などより遥かに大きい水滴の列だ」

つまり、霧箱の中で軌跡のように見えるものは、シュレーディンガーの理論で言えば波束が鋭い波でしかなく、粒子が通る明確な直線の軌跡ではないのです。

では抽象的な概念を好むハイゼンベルクは、この事実をどのように理解したでしょうか?

彼は、これが電子に関する情報の不確かさなのだと考えました。

「何が観測可能で、何が観測できないのか? それはどうやって決まっているのか?」

ハイゼンベルクはこのとき、アインシュタインの何が観測可能か決めるのは理論だという指摘を思い出します。

そして彼はここから、運動量と位置の情報が同時には得ることができず、両者には不確定性がつきまとうという、量子力学でも特に重要な理論、ハイゼンベルクの不確定性原理を発見するのです。

もし電子に軌跡があるのだとすれば、それはある時間ごとの電子の位置qを連続して観測していくことに他なりません。

しかし、電子のように小さな粒子は、なんらかの粒子との干渉で観測を行った場合、あらぬ方向へ弾き飛ばされてしまって、もともと持っていた運動量を失ってしまいます。

これでは瞬間的な位置を知ることはできても、その後の経路はめちゃくちゃになって意味を持たなくなるでしょう。

歴史で学ぶ量子力学【改訂版・3】「私の波動方程式がこんな風に使われるのなら、論文などにしなければよかった」
(画像=実際、霧箱内の気体分子よりはるかに質量の小さいβ線では、気体分子の影響で軌道はめちゃくちゃになる。 / Credit:© 霧箱の製造販売 有限会社ラド、『ナゾロジー』より引用)

行列力学では、粒子の運動量pと位置qの順番を入れ替えて掛け算すると、答えが変わってしまうという非可換性を持っていました。

行列力学の発見当時、その理由をハイゼンベルクは説明できませんでしたが、これは運動量を測定してから位置を測定した場合と、位置を測定してから運動量を測定した場合では、観測結果が変わってしまうことを意味していたのです。

つまりは、私たちは電子について、運動量と位置を同時に知ることは禁じられていたのです。

そのため、後にハイゼンベルクは、この理論の名前は「不確定性」と呼ぶよりは、「不可知性」と呼んだほうがよかったかもしれないと言っています。

このような測定の曖昧さは、電子に明確な軌道を持たせることを禁じています。

だから、電子は空間の中でつながった経路という古典物理学的な概念を持たなかったのです。