世襲政治家は悪なのか

とはいえ、こういったことが知られず、先述の記事にあるように映ってしまうのは、偏に政治・行政側の広報、発信が不十分だからであり、深まる政治不信と相まって、嘆かわしい状況だと言える。

私自身、世襲政治家云々以前に、現在の国政選挙の仕組みは最適解ではないと感じているし、必ずしも政策の良し悪しや政治家としての資質で当落が決まっているとは言えないと考えている。

また、国会議員を引退した際に、政治団体や政治資金を配偶者や親族に引き継ぐという時点で、スタート位置をずらしているようなものだとも思う。

では、やはり世襲政治家は悪なのだろうか。

否、と言いたい。なぜかといえば、政治家、国会議員という仕事がどんなものであるか、どういう生活を送ることになるのか知った上でなお、自らもその道を志すからである。

仕事柄、国会議員に会うことは多いが、身近な若手議員の多くは、まさにこの世襲政治家と言われる人たちである。それぞれの政治家を志した背景を聞くと、元官僚もいれば元会社員もいるし、それぞれ予定調和とは言い難いストーリーがある。

さらに言えば、親が子どもを政治家に仕立て上げ、なるべくしてなったというよりは、親は政治家になることを止めた、自分の子どもに政治家をやってほしいとは思わないという人ばかりである。

並大抵の覚悟では務まらない仕事である以上、親としては気軽に勧められないだろうということは容易に想像がつく。傍から見れば、給与が良いから国会議員になるなんてとても思えないほど割に合わない仕事だ。

それにもかかわらず、何世代にもわたり政治家になる、なってしまうのは、もはや宿命を背負っているといった方が、実態に即しているのではないだろうか。

煉獄の母の言葉から見えてくるもの

再び、『鬼滅の刃』に戻ろう。煉獄は幼き頃、母・煉獄瑠火からこう問われた。

「なぜ自分が人よりも強く生まれたかわかりますか」

答えられない煉獄に、瑠火は言う。

「弱き人を助けるためです」

さらに、あるべき生き様にまで触れる。

「生まれついて人よりも多くの才に恵まれた者は その力を世のため人のために使わねばなりません」

「天から賜りし力で人を傷つけること私腹を肥やすことは許されません」

「弱き人を助けることは強く生まれた者の責務です」

「責任を持って果たさなければならない使命なのです」

心に響く名言だが、これらはそのまま世襲政治家にも当てはまるのではないだろうか。決して、家柄や才能に甘んじてはいけない、と。

国会議員という仕事に就く者には、どうしても社会的責任、もっといえば「ノブレス・オブリージュ」が求められる。だからこそ、裏金問題といった不祥事はもっての外と弾劾される。

煉獄の生き様は、観る者の胸に迫るものがある。お国のために、という言葉を使うことは憚れるが、たとえ世襲政治家であっても

「お前も鬼にならないか?」

という甘い誘惑に惑わされることなく、

「俺(私)は如何なる理由があろうとも鬼にならない」

と答えられるのなら、その宿命と対峙し心を燃やせるのならば、むしろそういう人にこそ、この国を任せたいと思う。

※1)(生物学的)女性およびそのパートナーのウェルネス・セクシャルウェルネスにおける課題を解決するために開発された、テクノロジーを使用するソフトウェア、診断キットその他の製品およびサービス