UFO(※)現象の“本家”はアメリカだが、実はイタリア半島は未確認航空現象(UAP)に関する長い歴史がある。その中でも今回は1979年にイタリア北東部の空で目撃された“黒チクタクUFO”を取り上げてみたい――。
(※) UFO(Unidentified Flying Object:未確認飛行物体)は、説明のつかない航空現象をすべて含むが、現在は「宇宙人の乗り物」という意味で用いられることが多い。そのため、現在アメリカ軍では「宇宙人の乗り物」という意味合いが強くなったUFOに替えて、説明のつかない航空現象に対し、「UAP(Unidentified Aerial Phenomena:未確認航空現象)」という呼称を採用している。最初のUFO目撃談とされる1947年の「ケネス・アーノルド事件」で、実業家のケネス・アーノルドが目撃した飛行物体について「水の上を滑る円盤のように」動いていたと描写したことから、宇宙人の乗り物を「空飛ぶ円盤(flying saucer)」と言うこともある。
1979年の“黒チクタクUFO”
あの“史上最大のUFO事件”である「ロズウェル事件」より14年も前の1933年にイタリアでUFOの墜落、回収事件が起こっていたことや、1978年にイタリアでUFOと宇宙人の目撃が多発していたことは最近になってあらためて注目されているが、ほかにも不可解なUFO/UAP現象は多数報告されている。1979年にはトレヴィーゾ空港の上空で“黒チクタクUFO”が目撃されているのだ。
イタリア空軍のパイロット、ジャンカルロ・チェッコーニはこの時、偵察任務で戦闘爆撃機「フィアットG.91R」を操縦していた。彼はイストラナの基地に戻る途中で、古代ヴェネツィアの都市トレヴィーゾの西20キロのトレヴィーゾ空港の上空に奇妙な物体が浮遊しているのを発見したのだ。
異常を無線で伝えると近くで観察するように指示されてチェッコーニはそのUFOに近づいた。
チェッコーニがまず驚いたのはその形状だった。戦闘機よりもひと回り小さくて色は黒く、ウォータータンクのようにずんぐりした“チクタク(ミントタブレットの「TicTac」)”型をしており、上部には操縦室のようなドーム型の構造があった。UFOの機体には排気口らしきものはなく、現状のどの種類の航空機にも似ていなかった。
UFOは空中で静止しており、トレヴィーゾの空港上空に浮かんでいた。調査のためにチェッコーニはUFOの周囲を一周して写真を撮影した。奇妙なことにUFOはチェッコーニの戦闘機に対して常に同じ側を向けていて、一周してもUFOの“背後”を見ることもできなければ写真を撮ることもできなかった。
しばらくするとUFOはより上下垂直に移動しはじめたのでチェッコーニはその動きに追随するのがやっとであった。
この“黒チクタクUFO”はトレヴィーゾ空港の地上監視員によっても目撃され、レーダーでも捕捉されていた。そしてその後に突然、UFOは跡形もなく消え去ったのだ。チェッコーニはもちろん、空港地上職員、レーダーオペレーターの全員が同時にそれが魔法のように消えるのを目撃したのである。
チクタクUFOといえば、2004年11月14日、太平洋艦隊第11空母打撃群に属する原子力空母「ニミッツ」からなる艦隊が、米カリフォルニア州サンディエゴ付近で遭遇したUFOだ。2017年終盤に米紙「New York Times」が“本物のUFO動画”としてスクープして世に衝撃を与え、しかもその後、米国防総省は「未確認の空中現象である」ことを認め、映像を公式に公開した。ただ、ニミッツが遭遇したUFOは白かったといわれており、形状は似ているものの色が異なる。
いずれにしろ、まだまだUFO/UAP現象に対する理解が浅かった1970年代のヨーロッパでは、この“黒チクタクUFO”がいったい何なのか見当もつかなかったであろう。
しかし幸運なことにチェッコーニは空港の上空でUFOの姿を撮影することができた。さらに軍や空港関係者以外にも複数の目撃者がいたのである。当時この事件は大きく報道され、当時の多くの新聞に掲載された。
ともあれ2004年に米海軍空母・ニミッツが確認するはるか以前に“チクタク”型のUFOがイタリアで目撃されていたことになる。