勇太氏は平成30年12月の県議選で、喜四郎氏の地盤でもある古河市選挙区から初当選した。
出馬をめぐっては一悶着(もんちゃく)があった。同選挙区が、喜四郎氏を長年支えてきたベテラン現職の選挙区だったからだ。勇太氏にとっては、喜四郎氏の支持層からも「仲間の背中を刺すような行為だ」と批判を浴びる逆風の選挙になったが、この現職を抑えて激戦を勝ち抜いた。
ただ、確執は尾を引き、勇太氏はその後も県議会の喜四郎氏会派とは距離を置いている。会派入りの打診も受けたが、固辞し続けているという。
とはいえ、「青臭さ」が目立つタイプの若手政治家かといえば、そういうわけでもないようだ。
喜四郎氏とも通じる「どぶ板」を信条とし、週末には地元での辻立ちを欠かさない。選挙の際、選挙カーではなくバイクで選挙区を回る手法も父譲りだ。
産経新聞は中村勇太氏について一定の評価をしている様子です。
政治の世界の力学、物事の解決のための政治的方策や人間の見抜き方、付き合い方などは一般社会で生きているだけでは身に付きにくいものだと思います。私もその方面の方にお話を伺って「そういう取り組み方もあるのか」「そういう人物評価が為されているのか」と、発想の外にある実態を知り、政治の奥深さを垣間見ることがあります。
それを(十分かはともかく)親から学べることは大きな財産であり、本来はその経験値を国民に還元するべきものでしょう。「多様性」の観点からは、そうした議員が在る程度居た方が安定的な構成になるのではないでしょうか?特に、YouTube動画などで一時的な人気を得た者がある首長選挙で持ち上げられた姿を見た後だと。という皮肉の一つでも言いたくなります。
他方で、世襲議員が要職に就きやすいというのは現実であり、その事が弊害となって国民生活に支障をきたさないようにしなければならないという問題意識は正当だと思います。
ただし、それは立憲民主党の世襲制限法案のように法律によって国家権力が相続や親族の自由意思を制限するような制度を作るのではなく、ある選挙区での出馬に当たって政党・党員がその候補者を審査するなどといった、「政治側の制度改革」によって、世襲による弊害は除去されるべきではないでしょうか?