渋沢はここで23歳まで暮らします。彼が住んでいた当時は茅葺屋根の家でしたが、妹夫婦が住み始めた際に現在の建物に建て替えられました。

尾高惇忠邸にて撮影。

渋沢家は血洗島の一農家でしたがその暮らしぶりは大変裕福でした。その秘密はこの藍玉。利根川の扇状地で砂地の血洗島は稲作には不向きだった一方で水はけのいい地で育つ藍の栽培にはうってつけの土地でした。渋沢家はここで藍を栽培し藍玉を作っていましたが原料を農家から買い、紺屋に藍玉を販売するところまで請け負う商売も行っていました。

また、地域の藍農家を競わせるために番付を作り公表、切磋琢磨して良質の藍を作らせていました。渋沢榮一の商才の原点は家業にあったといっても過言ではありません。

向こうに広がる青々としたねぎ畑。

血洗島地区一帯は藍の栽培が盛んでしたが、同様に砂地で栽培するのが適しているのがねぎです。藍栽培は化学染料の台頭で衰退していきましたが、ねぎはその空いた土地を生めるように作付け面積を伸ばし特産品にまで成長していきました。

中の家から渋沢栄一記念館までの間はのどかな散歩道になっていますが、そこには渋沢榮一のありがたい言葉が並びます。彼の説く「道徳経済合一説」を散歩をしながら学ぶことができる遊歩道です。

記念館裏にある渋沢榮一像。ちょっと頭が大きくないかい…?

渋沢も愛した煮ぼうとう

場所は中の家に戻りますが、昼食はこちらの麵屋忠兵衛で頂きました。ここは深谷名物「煮ぼうとう」が食べられる老舗です。

看板猫が迎えてくれました。

単なる麵屋と侮ってはいけません。歴史のありそうな店構えから想像できるようにここは渋沢家ゆかりの建物。大番頭の家屋だったこともあり、渋沢榮一直筆の掛け軸が床の間に飾られています。

これはうまい!ファンになりそうな煮ぼうとう。

こちらが名物・煮ぼうとう。ほうとうというともっぱら山梨県の特産というイメージが強いですが、深谷を含めた埼玉県北部でもよく食べられています。山梨のほうとうは味噌ベースが主流ですが、埼玉では醤油で味付けます。当然中には深谷ねぎも入っていて、地元の野菜もおいしく頂ける一品です。