■アガーフィアがルイコフ一家の唯一の生き証人に
カルプによれば、彼らはごくたまに荒野で他の人間と出会ったが、接触することは避け完全に孤立して生きることを選んだ。このたびの地質学者チームは、数十年ぶりに接触した外部の人間であったという。
一家はチームメンバーを幾分恐れていたが、同時に魅了されてもいた。特にドミトリーとアガーフィアは、地質学者が持っていた衣服と装備品に完全に当惑していた。彼らは地質学者のキャンプを訪れ、数分で木を切ることができる「丸いノコギリ」に感激し、セロハンとして知られる「しわくちゃのガラス」に驚かされ、テレビを見たときには感動して夢中になった。ここで生まれた子どもたちにとって、それらはすべて魔法に似ていた。
地質学者たちは一家に金属製の食器、鍋、ナイフ、懐中電灯、そして塩を分け与えた。子どもたちは塩は一度も口にしたことがなく、カルプにとっても40年ぶりの味であった。
地質学チームの“発見”によって、ルイコフ一家の話は何度もニュースでとりあげられて人々の知るところとなったが、不幸なことに一家には悲劇が続いた。
1981年にサヴィンとナターリアは腎不全で続けざまに亡くなり、続いてドミトリーが肺炎で亡くなったのだ。
伝えられるところでは、地質学者たちは治療のためにドミトリーを病院に空輸することを申し出たが、彼はそこで待っていることへの恐れと彼の宗教的信念の両方のため、それを拒否して間もなく息絶えたという。
カルプも1988年に亡くなり、アガーフィアがルイコフ一家の唯一の生き証人となった。地質学者たちは彼女にタイガから別の場所に移り住み、文化的な生活を送ることを提案したのだが、宗教的信条の理由でこの地を離れることを拒否している。
その代わりといってはなんだが、アガーフィアにはあらゆる物資が提供された。山小屋の代わりとなるキャビンをはじめ、生活に必要な衣服や機器類、家畜となるヤギやニワトリに加え、年配男性の地質学者、エロフェイ・セドフが住み込みで彼女にそばにいることになった。
ほんの一時期、アガーフィアはロシア政府の勧めでモスクワをはじめロシア国内の主要な都市や観光地を巡るツアーを体験した。街を行き交う自動車や賑やかな繁華街を目の当たりにし、初めて旅客機に乗るなど、アガーフィアにとってカルチャーショックの連続となるツアーであった。
こうした光景のいくつかは彼女を魅了したものの、そのほとんどは彼女を怖がらせたという。アガーフィアはタイガを離れた地の空気と水がゆっくりと心身をむしばんでいると信じていたのだ。したがってアガーフィアはこの後もタイガを離れることはなかった。
2022年8月の時点でアガーフィアが存命であることは確認されている(エロフェイ・セドフは2015年に逝去)。孤独であるかどうかをあるジャーナリストに尋ねられたとき、彼女はこう語った。
「私はいつもキリストと共にいるので、決して孤独ではありません」(アガーフィア)
ルイコフ一家の物語は残念ながらもうすぐ終わることになる。迫害による逃亡生活から、現在は文明社会からの隠遁生活に変わったのは幸いなことであるが、全体的には哀しい物語であるだろう。しかしながらルイコフ一家のストーリーは、人間の持つ逞しいほどの潜在的なサバイバル能力についての魅力的で価値のある考察につながることは間違いない。
提供元・TOCANA
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