【クルマ物知り図鑑】名手スターリング・モスも驚嘆した韋駄天ミニ、1968年スズキ。フロンテSS
(画像=フロンテSSのキャチコピーは“ビートマシン!”各部をチューニングした3キャブレター仕様の3気筒ユニットは36psを発揮。0-→400m加速はクラストップの19.95秒で駆け抜けた。発売に先駆けてイタリアのアウトストラーダで実施した高速耐久テストでは750kmを平均122.4km/h、最高134.1km/hで走破。速さを実証する、『CAR and DRIVER』より 引用)

軽スポーツの真打ち、フロンテSSの登場

 ホンダN360の発売(1967年)がきっかけを作り、ダイハツ・フェローSSやスバル・ヤングSSが流れを決定した軽自動車のハイパワー&スポーツ化は、1968年11月に発売されたスズキ・フロンテSSの誕生によって頂点を迎える。

【クルマ物知り図鑑】名手スターリング・モスも驚嘆した韋駄天ミニ、1968年スズキ。フロンテSS
(画像=『CAR and DRIVER』より 引用)
【クルマ物知り図鑑】名手スターリング・モスも驚嘆した韋駄天ミニ、1968年スズキ。フロンテSS
(画像=『CAR and DRIVER』より 引用)

 フロンテSSは、2輪の世界でスポーツモデルを作り慣れていたスズキだけに、ライバルメーカーとは次元が違う強心臓が搭載されていた。当時の軽自動車唯一の2ストローク3気筒エンジンは、まさにフルチューン。SS用ユニットは標準車とはクランク系から異なっていた。ガスの流れを速くするためフルカウンター(=円形状)となっており、シリンダーはアルミ鋳鉄スリーブ入り。圧縮比は6.8から6.9に高められ、3連装キャブレターの口径は20mm系から24mm系に大口径化。エキゾースト系も専用設計だった。エンジンスペックは排気量356cc、最高出力36ps/7000rpm、最大トルク3.7kg・m/6500rpm。0→400m加速データは20秒を切る19.95秒、トップスピードは125km/hと公表された。

名手スターリング・モスがその速さを実証!

 フロンテSSのパフォーマンスはカタログデータ以上だった。発売前に高性能をアピールするため、イタリア・アウトストラーダのミラノ〜ローマ〜ナポリ間の750kmを走破する“太陽のハイウェイ・テスト”を実施。平均122.26km/h、最高134.1km/hで走破してみせたのだ。ドライバーに起用されたのは元F1ドライバーのスターリング・モスと、2輪ライダーの伊藤光夫。ドライバーが名手だったこともあるが、テストに起用されたモデルは市販仕様と共通。なによりフロンテSSの高性能がただものでない事実を証明していた。

【クルマ物知り図鑑】名手スターリング・モスも驚嘆した韋駄天ミニ、1968年スズキ。フロンテSS
(画像=『CAR and DRIVER』より 引用)

 ただしフロンテSSは、高性能を引き出すのに相応のテクニックが必要なクルマでもあった。フルチューンされたエンジンは常に3500rpm以上をキープしていないと走らなかった。それ以下では突然エンストすることもしばしば。タコメーターのイエローゾーンは0〜3500rpmと7500〜8000rpmの2カ所表示され、レッドゾーンは8000〜10000rpmという、まさにレーシングユニット並みの設定だった。

 信号からのスタートでも3500rpm以上でクラッチをミートする必要があり、本来のパワーが実感できるのは5000rpm以上という、ピーキーな性格だったのである。渋滞路ははっきりと苦手。各ギアでぎくしゃくしないで走れる最低速度は1速が15km/h、2速は23km/h、3速で38km/h、4速50km/h。推奨速度(つまりエンジン回転5000rpm以上)は1速22km/h、2速38km/h、3速58km/h、4速83km/hだった。「フロンテSSをスムーズに、しかも俊敏に走らせることができれば、レーシングカーも手なずけられる」と当時言われたほどテクニックが必要だったのだ。