また一時期は体育競技だけではなく、詩の競演などといった芸術競技が行われたこともありました。
このような全ギリシアから人が集う競技大会は古代オリンピックだけではなく、他にもピュティア祭、イストミア祭、ネメア祭といった競技大会が開催されていました。
なお古代オリンピックが開催されてから2年目と4年目の年にはイストミア祭とネメア祭、3年目の年にはピュティア祭が開催されていました。
そのようなこともあって、古代ギリシアの世界では毎年何らかの競技大会が開催されていたのです。
その中でも古代オリンピックは群を抜いて特別な大会であり、多くの古代ギリシア人はオリンピックを見るためにオリュンピアに集っていました。
この4大競技大会はいずれも勝者には植物の冠だけが与えられており、古代オリンピックの勝者にはオリーブの冠、ピュティアの勝者には月桂冠(月桂樹の葉で作った冠)、イストミア祭の勝者にはセロリの冠(のちに松の冠に変更)、ネメア祭の勝者は古代オリンピックと同じオリーブの冠(後にセロリの冠に変更)が与えられました。
しかし競技は各大会によって異なっており、一部の競技大会でしか開催されていない競技も多くありました。
また同じ競技であったとしてもルールなどは各大会によって異なっており、一番オーソドックスであったスタディオン走を取っても、走る距離は古代オリンピックでは192mであったのに対し、ピュティア祭では172mであるなど、大きく異なっていたのです。
これは先述したように当時の古代ギリシアの社会において都市が独立していたことが大きな理由ですが、この多様性こそが古代ギリシアの競技大会の特徴を表していたともいえます。