■西洋コックリさんを用いた精神生命体サファイアとの交流とその後
西洋コックリさんは数字やアルファベット、Yes/Noクエスチョンを通して高位もしくは下位の存在とコミュニケーションを取る手段の一つであるけれど、日本では小学生の間で一時期流行り、集団ヒステリーなどの原因として禁止された経緯があるので覚えていらっしゃる読者諸氏も多いことだろう。
事件の発端は1990年7月20日北米ノースウェスト・フロリダ・ニューズ社が伝えた「6人の反米AWOL(無断離脱)兵士を殺害する」というタイトルで、諜報機関からの脱走に対する罪状で起訴されるという記事であった。
さかのぼること11日前の7月9日、第701軍事情報部隊に休暇なしで欠席した6名の分析官が基地から脱走を図ったという物だ。ケネス・ビーソン上等兵、ヴァンス・ディビス上等兵、アネット・エクルストン軍曹、マイケル・ヒュークシュタット一等軍曹、クリス・パーロック一等軍曹、ウィリアム・セッターバーグ一等軍曹らは西ドイツから無許可で帰国し、テネシー州チャタヌーガへ行き、そこでバンを購入し、陸路で当時注目のUFOスポット出会ったフロリダ州ガルフ・ブリーズへ向かった。彼らのほとんどは以前フロリダ州ペンサコーラにあるNASカーチス海軍航空基地で基本的な訓練を受けていたので、その地域は見慣れた場所だった。
残念ながら移動中、交通渋滞に巻き込まれ、バンのテールランプ故障が元で交通警察の検問で、運転手のヒュークシュタット一等軍曹がIDチェックされると、すでに当局から脱走の罪で追跡されていたため、敢え無く拘束されることとなった。彼はジョージア州フォートべニング基地に連行され隔離された上、監禁されることになりました。残りの5人も程なくして別々の場所で監禁されましたが、家族はメディアに窮地の彼らの状況をリークし、キャスマン上院議員・ドール上院議員からの反応をもたらすまでは均衡を保っていたようだ。
驚くことに、逮捕から三週間後に開かれる軍事法廷で厳しく罰せられる代わりに、フォート・ノックス基地から退去させられている。当時の上官、コリン・パウエル大佐がこの信じられない評決に異議を唱えたため、結局彼らは脱走兵として罰せられる事となり、米軍内の階級は最低に落とされ、半月分の給与は没収された。以来、軍当局は調査の議論を拒否している為、詳細は分かっていないが、まさかガルフ・ブリーズのUFO見たさ、MUFONの年次UFO大会に出たいが為だけに脱走し、命を危険に晒したとは言えない訳だが、後のFOIA(情報自由化法)申請によって機密書類1600ページの内、1400ページが機密解除され、その驚くべき内容がつまびらかにされた。
彼らの話はかなり長いので、ここではかいつまんで解説する。1995年に出版されたヴァンス・ディビス元上等兵の自伝によると、彼らが脱走したのはもっと早くて、西ドイツの基地で失踪したのが分かったのが7月9日だったようだ。そして、彼らの個室には大統領宛の書簡が残されており、それが米国へ無断帰国した後に機能するようにしておいた模様だ。