10年ほど前、ある方が日本でコミュニケーション塾をやるので講師の1人として参加してもらえないか、とお誘いを受けたことがあります。一つ返事でお受けし、2-3年ほど、お付き合いさせていただき、日本に行ったときに講師としてお話を何度かさせて頂きました。10年前にコミュニケーションの重要さを語っていたのですが、今考えてみればその重要さは更に増してきたと思います。
私が日本の若い方と会話をしているとき、「自分は海外に長くいるので日本語が聞き取れなくなったのかな?」と勘違いするほど何を言っているかわからない時があります。英語は文法上、主語が明白に表現されるのに対して日本語の場合には主語を省略する場合が多いのです。これは日本人なら誰でも知っていることですが、意識をしている人は割と少なく、誰が何を言っているのか、その場の雰囲気から類推するしかないこともしばしばです。
小説を読んでいるときでも複数人の会話が延々と続く場合、誰の発言かわからない表現があるのです。あれっと思い、読み直す時もしばしばあるのですが、この辺りの日本語は難しいところです。実を言うと、その何を言いたいのかよくわからない話は面接をしているときにもしばしば起きるのです。
私は応募者の人生の話を引き出してその方の性格や特徴を見出すようにしているので履歴書やきっかけ話からそこを深堀することがあります。人によっては嬉しそうに話す方もいるのですが、時として「そこを聞かれたか!」という感じで言葉が詰まる方もいます。そうなると支離滅裂になり、話の辻褄が全然かみ合わなくなり、「あぁ、この方は面接向けに表面繕いをしているな」というのがばれてしまうのです。