ある時、私のX(旧ツイッター)タイムラインに、牛めしや定食でおなじみの松屋店舗前で、「本人です」のタスキをかけて写真を撮る大柄の男性写真が上がってきた。誰かと思って投稿を眺めると在京ジョージア大使とある。
いわゆるなりすましアカウントと勘違いしたが、反響の程度が尋常ではない。「バズる大使」ことレジャバ大使であることは、その後すぐに分かった。本書は広島で育ち、日本企業で働き、日本文学をこよなく愛する著者の自叙伝である。
「言葉は私にとってファッションのようなもの」その後もレジャバ大使の投稿をたびたび目にするが、他の在京大使の投稿とは趣が異なる。決して大使館スタッフが代筆していないことは内容から明らかで、本人の言葉で記された短文には、毎回こだわりと繊細な感性を思わせる表現が凝縮されている。
言葉をファッションというように、幼少期の記憶からジョージア出身の大関・栃ノ心断髪式の祝辞に至るまで、読み手を唸らせるために練られた言葉とより良い表現を探求する言葉への渇望が行間からも溢れ出てくるようだ。
「ジュダイの騎士っぽくてすごくカッコイイ衣装だけど、どこの国の方だろう」日常的にXを使いこなし、祖国ジョージアの広報に余念のない著者だが、Xの可能性に気づいたのは2011年3月11日の東日本大震災の時である。携帯電話がつながらず、地震の状況が正確につかめない中で、Xから速報を続々と入手する友人の姿に強い印象を受けたようである。
そして人生初めて「バズる」ことを経験し、本格的に活用を始めるのが、2019年10月即位の礼正殿の儀。民族衣装チョハを来て、来日したジョージア大統領に随行した時である。