社会には仕事がある人とない人が生まれるとみています。仕事がない人は現在の社会では食うために必死に仕事を探しますが、そのうちにごく一部の優秀でAIを駆使する人々とそれをメンテする人が生み出す生産能力により企業は利益を生み出し、国家にも税収がもたらされ、働かない人にベーシックインカム以上の配分が生まれるという冗談のような社会になるのかもしれません。

国家運営も役所仕事も全部テクノロジーに取って代わり、政治家はバーチャル政治家になります。我々は生身の人間を選挙で選ぶ必要はなく、バーチャル政治家が24時間国民のために働いてくれます。テレビのドラマの俳優は全部仮想の人物、あるいはリアルの俳優をコピーしたバーチャル人間になるでしょう。テレビニュースも天気予報のお姉さんも全部バーチャルです。

さて、質問です。これ、楽しいでしょうか?人間は労働と若干の休息というバランスの中で日々の生活に活力と活気をもたらすはずです。働かないで国家から小遣いをもらって毎日ダラダラしているのは今に生きる人にとって楽園に聞こえますが、1週間もすれば飽きるか堕落しそうです。北米の休暇が1-2週間というのはそれを超えると働く意思が下がり、生産性が落ちるからだと考えています。

AIが急速に普及しつつある今こそ人間の義務と尊厳、機械と人間の役割分担について議論が起きてほしいと思うのです。戦争1つとってもドローンにコンピューター制御のミサイルといった具合で人間が泥まみれ、血まみれになって戦う比重はかつての戦争に比べ大きく下がってしまいました。それが理由で戦争をダラダラと長く続けられる面もあるでしょう。

もしも深い議論もなく機械化とAIが浸透し「便利になって良い時代だね」となった場合、我々古い世代は果たしてついて行けるのか疑問なのです。振り返ればコンピューターが我々人間社会に広く浸透し始めた90年代半ばからまだわずか35年しかたっていないのに加速度的な進化に人はキャッチアップができなく時代がやってくるだろうと思うのです。