よくもまあ、上から目線でこんな記事を書けるものです。

悪質な冤罪が多発生し、全然それが是正されないのは警察、検察、司法と癒着し、その走狗となって被疑者=犯罪者扱いし、被疑者を追い込んできた記者クラブメディアの責任が大きい。

ぼくは今年、会員である日本ペンクラブは不思議なことに記者クラブの問題に何も発言ししてきませんでした。ぼくは桐野会長や重鎮にもなぜペンクラブがこの件で動かないのか、動くべきだとお話しましたが、現状なんのアクションも起こされていません。

法治国家の根幹揺るがす冤罪 「誤りうる司法」直視を 日本経済新聞

「捜査手法は厳しく批判され、反省されなければならない」。1968年、袴田巌さんに死刑を言い渡した静岡地裁判決は13行に及ぶ異例の「付言」で指摘した。この事件が他の再審無罪事件と異なる大きな特徴は、当初から捜査が問題視されていたことにある。

だが、無辜(むこ)の市民に罪を背負わせ、真犯人が訴追から免れる冤罪は法治国家の根幹を揺るがす。刑訴法の改正と冤罪を発見・救済する仕組みづくりは急務だ。

警察、検察、司法の記者クラブは取材機会を囲い込みブラックボックス化することで甘い汁を吸っています。当局のご機嫌を取ればリークのおこぼれがあるので、尻尾を振って、彼らのシナリオ通りに「報道」をするわけです。

被疑者=犯罪者の体で指名や顔写真をさらされて社会的に抹殺されます。当局に異を唱えると、リークがもらえず、特オチという「罰」を与えられます。ですから犬畜生よろしく、尻尾を振って媚を売るわけです。