高校時代に東京ヴェルディユースに所属していた児玉は、トップチーム昇格が叶わず桐蔭横浜大へ進学。卒業前になってもJクラブから声がかかることはなかった。プロへの夢を追い続ける児玉は、日本フットボールリーグ(JFL)の横河武蔵野や中国サッカーリーグの福山シティを経て2023年にJ3のYS横浜へと渡るが、いずれもアマチュアでの契約だった。

アマチュア契約する選手の多くは、所属チームの親会社で社員として働きながらサッカーに励むケースが多い。児玉もその1人であり、横河武蔵野時代には夜間練習までの間、小学校の給食センターに勤務し、武蔵野市内の小学校7校約3,500人分の給食を作っていた。その後もイタリア料理店のホールや不動産会社の事務、老舗温泉旅館の調理補助、YS横浜のアマチュア時代にも日産スタジアム内にあるレストラン勤務など様々な仕事をしながらサッカーを続けてきた。今年1月、YS横浜との契約を更新した児玉はクラブの公式サイトで思いの丈をこのように綴っている。

「正直なことを言います。2024シーズンはJ1・J2でプレーしたかったのが本心ですし、ギリギリまで上のカテゴリーでプレーしたい気持ちがありました。しかし、年が明けても正式なオファーは無く、Y.S.C.Cでプレーすることを決めました。自分の挑戦を最後まで待ってくれたクラブのために、今シーズンY.S.C.C.の選手として戦うと決めたからには、強い覚悟を持ちクラブのために死に物狂いで全て出し尽くし戦うことを約束します。J2昇格、チームの歴史を変えるために人生を懸け戦います」

しかしその2か月後、新シーズンが始まって間もない中で札幌からオファーが届く。昨シーズンの活躍をみればYS横浜にとって児玉の流出は大きな痛手だが、それでもクラブが笑顔で背中を押し、児玉はJ1クラブ加入の夢を叶えた。


菅野孝憲 写真:Getty Images

憧れの存在からライバルへ