「改過自新」の由来
では「改過自新」はどこから来た言葉なのでしょうか。
ここからは「改過自新」の由来について解説します。
改過自新の成り立ち
「改過自新」は史記の「呉王-濞伝」から来たとされています。
それは前漢第5代文帝の時代のこと。
皇太子(後の第6代景帝)と呉王劉濞(リュウビ)の息子が、お金を賭けて双六をしていたそうです。
しかし、熱中しすぎてしまった皇太子が双六盤を投げつけて劉濞の息子を殺してしまうという事件が起こってしまいます。
劉濞はこの事件を受け、病を理由に諸侯王の義務である入朝も放棄してしまうのでした。
その後、景帝が即位した際、皇太子時代から側近であった鼂錯が御史大夫(官吏を監察する仕事)に任命されます。
そんな鼂錯には難くせを付けて諸侯王の土地を奪う計画があったそうです。
その一環か、劉濞に対しては「病気と詐称して入朝していない。呉王は改過自新すべきである」との理由で、呉の重要拠点を削り取ってしまいます。
これがきっかけとなり、紀元前154年「呉楚七国の乱」が起こりました。
この中国の出来事から「改過自新」という言葉が広まったとされています。
「改過」と「自新」は何を指す?
では「改過」「自新」はそれぞれ何を指すのでしょうか。
ここではそれぞれの意味について簡単にまとめます。
改過とは
「改過」は自分の過ちを改めることを意味します。
字面通り「過ち」を「改める」ことを指す言葉です。
単なる過ちではなく、それを改めることを意味します。
自新とは
「自新」は自分で態度や心得などを一新することを意味します。
文字通り「自分」を「新しくする」ことを指す言葉です。
単に気分を新しくすることの意味で使用されることもあります。