日本で知られている「群雄割拠」と言われる時代

「群雄割拠」とはどんな意味?どのような時代を指すの?
(画像=『FUNDO』より引用)

ここからは日本で知られている「群雄割拠」の時代についてまとめます。

日本における戦国時代

「群雄割拠」は中国語でも日本語でも頻繁に使用されます。
中国史の戦国時代も日本史の戦国時代も、多数の武将が台頭して相争う時代がありました。

そんな時代を「群雄割拠」と表現します。

ちなみに日本の戦国時代は15世紀末頃から16世紀後半まで続いたことで知られています。

当時は日本各地に戦国大名と呼ばれる武将が立ち上がり、自国の勢力を拡大しようと他国との戦争を繰り広げていました。
そんな混迷の時代が150年近く続いたとされています。

当時はまさに「群雄割拠」の状態。
日本各地に存在する名家が対立していました。

代表的なところだと武田家や上杉家、今川家、北条家などです。
そこに織田家や豊臣家や徳川家が参戦し、徐々に戦の規模も大きくなっていきました。

この時代は日本で「戦国時代」と呼ばれています。
つまり「群雄割拠が指す時代=戦国時代」と言っても過言ではありません。

古代中国における春秋戦国時代

「群雄割拠」は中国の春秋戦国時代も意味します。
中国の春秋戦国時代は東周の時期を指します。

この時代、各地に有力者が乱立して国内分裂が進みました。
そんな春秋戦国時代の戦乱は中国で「諸侯割據」と表現されます。

また、その後に続く五代十国時代は「藩鎮割據」、後漢(東漢)の三国時代に続く乱世は「州牧割據」とそれぞれ表現されます。
これらをまとめて「群雄割據」と呼ぶとか。

これも「群雄割拠」と同義の言葉です。

古代中国後漢末期の三国志の時代

古代中国の後漢末期は、いわゆる三国志の時代です。
これは「魏・呉・蜀」の三国時代とも呼ばれています。

始まりは184年の黄巾(こうきん)の乱。
この出来事をきっかけに後漢王朝が衰退し始め、中国は「魏・呉・蜀」という3つの国に分裂してしまいます。

それにより各国が各地で戦争を始め、混迷の三国時代へ突入するわけです。

そのため「群雄割拠」という表現が一番相応しいのはこの三国時代とも言えるでしょう。