科学の世界では「偶然」が大きな働きをした有名な話がある。英国の細菌学者アレクサンダー・フレミング(1881~1955年)のリゾチームとペニシリンの2つの発見だ。両者とも「偶然」によって発見されたのだ。前者のリゾチームは1921年、フレミングは研究室で突然鼻がかゆくなってくしゃみをした。その飛翔が研究用に細菌を塗抹していたペトリ皿に付着した。そして飛翔が付着した部分の細菌のコロニーだけが破壊されているのを発見したのだ。それを通じて、ヒトの鼻汁や血清などに含まれる「リゾチーム」が発見されたのだ。1928年、休暇から帰国したフレミングが洗うのを忘れて放置していたペトリ皿にアオカビが発生していた。そこでペトリ皿を廃棄しようとしたところ、カビの周囲だけ細菌が育っていないのを発見した。これが、世界初の抗生物質「ペニシリン」の発見だ。フレミングの2つの発見は「偶然」が大きな働きをした歴史的な実例だろう。彼はその成果でノーベル医学生理学賞を受賞している。
もちろん、フレミングは単に「幸運な偶然」で大きな成果を生み出したのではない。2つの発見は一見「偶然」のように感じるが、フレミングはそれまでの研究生活を通じて、「偶然」の中に大きな真理を発見できる経験を積んできていたのだ。逆に、「幸運な偶然」があっても、それを認識できない場合がある。例えば、アメリカ大陸を発見したイタリア人のクリストファー・コロンブスは自身がインドに到着したと最後まで思い込んでいた。実際は、コロンブスは「偶然」、アメリカ大陸を発見したのだ。しかし、彼はそれを理解できなかった。コロンブスの場合、まったくの「偶然」だったのだ。
科学者フレミングの例は「偶然」のパワーを理解する上で分かりやすい例だが、私たちの通常の生活で出くわす「偶然」については、その意味を理解することは容易ではない。「偶然」、路上で出会った人が生涯の友人となったとか、「偶然」に読んだ本が契機となってその分野の著名な専門家となったとか、いろいろな「偶然」がもたらす人間ドラマがある。