当方はこのコラム欄で「天才物理学者アルベルト・アイシュタインは、偶発性、確率、統計に基づく量子力学の曖昧さを嫌い、神はサイコロを振らないと答えた」という話を紹介し、「しかし、21世紀に入り、最近の量子物理学では神はギャンブラーのようにサイコロを振るうと受け止められてきている」と書いた。
「分子は原子の結合体であり、原子は陽子と中性子と電子の結合体だ。そして電子や光子は2カ所の穴を同時に通り抜けたり、複数の場所に同時に存在したり、同時に複数の異なる方向を向いたりできる。さらに不思議なことに、これらの粒子は空間のある地点から別の地点に光より速く通信し、テレポーテーションさえ可能なようだ」(スイス公営放送「スイスインフォ」2023年2月13日)というのだ。
従来の物理学の理論では理解できない現象だ。物理学者たちは光や電子が「粒子」か「波」かで頭を悩ませ、実際は「どちらでも成立してしまう」という問題にぶつかった。この解明と実用化のために、世界の科学者は昼夜、研究開発に没頭している。
ところで、「神はサイコロを振らない」と考え、多くの物理学者もそれを信じていた時代、物理学の世界だけではなく、神を信じるキリスト教会関係者も迷いがなかった。なぜなら、神が創造した宇宙が地上の物理原則、方式に基づいて観測可能であり、神の創造した世界は一定の秩序を維持した安定した世界だったからだ。しかし、量子物理学が登場して、「神はサイコロを振るう」と主張しだしたのだ。多くの物理学者がその学説の過ちを指摘するために懸命に努力したが、量子物理学者の理論を覆すことができないだけではなく、世界の優秀な物理学者が量子物理の研究に没頭しだした(「『神』がサイコロを振る時」2023年3月7日参考)。
量子物理学の話をするつもりもないし、話す能力も当方は持ち合わせていない。世界には「偶然」は存在するかというテーマに強い関心があるのだ。オーストリアの最大部数を誇る日刊紙「クローネ」日曜版に興味深い記事が紹介されていた。「偶然の力」という見出しで、「偶然は私たちの日々の生活、そして科学の世界でどのような役割を果たしているか」と述べ、「偶然は実際に存在するか」と問いかけているのだ。例えば、サイコロの場合、数字6が出てくる可能性はサイコロを少なくとも13回降った場合、90%の確率だという。一方、我々の生活レベルで考えると、間違った電車に乗って、そこで人生の伴侶を見出した場合、幸運な「偶然」と呼ばれる。「偶然」をどのように解釈するかでとらえ方も異なってくる。