そうした目で見ると、「発見・冒険者ネタ」は危険度高し、特に「先住民的なモチーフ」は要警戒、みたく歴史に素材を採ることを萎縮する空気が瀰漫するのに反して、いやいや、いちばん危ないのは「教える」という発想じゃね? という気がしたりする。

もし曲名がコロンブスなのは直せないにしても、たとえばベートーベンが「ピアノを教える」(ヘッダー写真)んじゃなくて、類人猿からむしろ彼らの芸術を教わってふむふむと感得する内容だったら、だいぶ印象違ったと思うんですよね。

そら、類人猿にはオーケストラの旋律は書けない。でもベートーベンだって、類人猿のリズムからしたら、たぶんスゴい音痴だ。「相手の基準で見れば」劣等生なのはお互いさまで、どちらかがどちらかに教える関係じゃないゾ、というのが、いちばんシンプルに炎上を緩和するモラルだろう。

なので、それさえあれば人文系の博士号は、別に要らない。まぁぼくも持ってるけど(苦笑)。

ちなみに「コロンブス」、聴いてみたらいい曲でした。炭酸飲料のCMソングだから、スキッと爽やかにイイ気持ちになることに徹していて、歌詞に文脈はなかったりしたけど。

問題は、かつては何も考えずスキッと爽やかな空気を喚起できた「偉人のイメージ」(たとえばコロンブス)が、世界の複雑化と歴史の見直しによって、昔ほど素朴にみんなをイイ気持ちにさせてくれないことなんですよね。だから、工夫がいる。

そんな時代にぼくが「いいなぁ」と思う歴史と音楽の扱い方は、たとえばこちらの ”I Want You Bach”。Bachは作曲家のバッハですが、英語での発音は「バック」なので、Jackson 5の名曲 ”I Want You Back”(帰ってほしいの)との掛詞になっています。

バッハが黒人音楽家に「教えて」たら炎上するけど、クラシック meets ソウルで双方が対等に影響を与えあう(気持ち比重後者寄り)ビデオだから、色んなことを考えさせるわけです。ぶっちゃけ、バッハだって最初に出てきたときは「権威」じゃなく、むしろマイケル・ジャクソンやブルーノ・マーズみたいに「楽しまれた」んじゃないの? とか。

つくづく(歴史にまつわる)人文知はいかにあるべきか、反省させられますよね。まぁもう選択肢としては、はっきりしていて、

① 世の中には色んなルーツの人、感性の人がいることを踏まえた上で、「これなら、なんとかみんなが楽しめる歴史の伝え方じゃないかな?」と、代案をオファーし続けるための人文知

② 発生した炎上に野次馬根性で口を挟み、他人の表現に因縁をつけては「うおおおお私は専門家! 博士号!助けてほしくば金を出せ!」とマウントをとりキャンセルするための人文知

……どっちを選ぶかは自明でしょう(笑)。

西欧中心主義に基づく「優劣づけ」がなされがちだった歴史の感覚をいったん均して、世界の見方を平衡にするセンスについては、今月の残りでも連投していきたいと思います。「楽しく」おつきあい願えるなら幸甚です!

編集部より:この記事は與那覇潤氏のnote 2024年6月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は與那覇潤氏のnoteをご覧ください。