中国の広東省深圳で日本語学校に登校途中の10歳の日本人児童が刺殺されました。お悔み申し上げます。6月にも蘇州市で同様の事件が起きていることを踏まえ真相究明が急がれるところです。

それ以外にも靖国神社に落書きをして中国に逃げ帰った男のその後の開き直った態度、NHKの国際放送で原稿にないことをしゃべった案件などを含め、個々の事件を見ると一見、相関関係はなさそうですが、個人的には根深い問題があるように感じます。

最大の疑問は中国人に道徳観念が十分にあるのか、であります。南沙諸島でのフィリピン船と中国の船団との争いも傍から見れば不良少年によるいじめに近いレベルです。習近平氏は軍部を掌握しているはずですが、実態としては掌握していない、そう見えるのです。習氏の実務能力が衰えてきた中で取り巻きがほとんど機能してないとなれば中国の統治能力がズルズルと低下している、そんな構図が一番当てはまるとみています。

岸田首相と習近平国家主席 中国共産党新聞より

軍部の掌握は国家の指揮系統の中でも最重要とされています。どこの国家でも軍部を仕切るものが国家を仕切るのが通常であります。金正恩氏が若かりし頃、北朝鮮軍部があらゆる不満を募らせ、金氏がそのコントロールを失いかけたことがあります。あの頃は北朝鮮が最も不安定な時期だったと思いますが、金氏は権力を堅持し、最悪期を抜け出し、弾道ミサイルにロシアとの連携といった軍部が喜ぶ施策を次々と行うことで金体制を維持しているといってよいでしょう。

では中国ですが、大所高所から見ると共産思想という国家による制御と支配が行われている社会において国民は対抗心をなくしている状態、つまり、何かすれば捕まる、だから何もしないに越したことはないという人間の意志の重要な部分が欠落してしまっているように見えるのです。

人間は非常に苦しい期間を経ると一種の非征服感が生まれます。例えば警察の取り調べが朝から晩まで長時間、延々と行われると多くの被告は落ちてしまいます。あるいはかつて社員教育で「地獄の特訓」なるものが流行った時期があります。あれなども自分を究極状態に押し込むとその先は自己抑制ができなくなり恥ずかしいとか、こんなことはできないといった個人が持つそれぞれの「リミター」が外れやすくなります。あのようなスパルタ教育の趣旨はリミター外しとも言えるのです。