社会主義派のメンギスツが政権についたのち、海外預金の口座などを聞き出したうえで、皇帝を暗殺したとみられている(1974年)。

皇太子のアスファはアメリカにあって、1989年には皇帝アムハ・セラシエ1世を称したが、1997年に死去。アスファの息子ゼラ・ヤコブ・アハ・セラシエは現在、エチオピアのアディスアベバに戻っているが帝政復活の動きはない。

さて、この歴史をみて、日本の皇室より古いのかと聞かれたら、そうだとも違うともいえない。途中で統治の断絶もあるし、本当にソロモン王とシバの女王の子孫である可能性は否定できないが、かなり高い可能性ともいえない。それでは、日本の皇室はといえば、以下のあたりだろう。

日本の皇室は、文字が日本で使われていなかった時代について不明な点もあるが、『日本書紀』においては、今上陛下の70数世代前の先祖だと書かれている神武天皇から皇室の歴史は万世一系の男系男子相続で連続しているといわれる。

その皇室が支配する国が日本国家といえる規模に成長したのがいつかといえば、第10代目とされる崇神天皇のときであり、第15代目の仲哀天皇のときに日本を統一したとされているし、そのことを積極的に疑う材料はない。

それがいつ頃のことかと言えば、『日本書紀』の記述では神武天皇の即位は紀元前660年とされているが、古代の天皇の寿命が非現実的に長いので、それを補正すれば、神武天皇は紀元前後、崇神天皇は三世紀、仲哀天皇は四世紀に活躍したと推定される。

また、皇統断絶が途中であったかについては、単なる可能性の指摘がされているに過ぎないし、少なくとも、西暦500年頃から後については、王朝交替を主張する人はいない。

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提供元・アゴラ 言論プラットフォーム

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